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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

6月6日・「軍人」の政治家・梶山静六の命日

2000年の明日6月6日は1998年の参議院選挙の敗北で退陣を表明した橋本龍太郎総裁=首相の後任を決める自由民主党総裁選挙で田中真紀子議員に「凡人=小渕恵三候補」と「変人=小泉純一郎候補」と共に「軍人」と評された梶山静六議員の命日です。74歳でした。
梶山議員は大正15(1926)年に現在の茨城県常陸太田市の石材業を営む農家に生まれ、旧制太田中学校から陸軍中央幼年学校が改編された陸軍予科士官学校に入営して修了後は陸軍航空士官学校に進み、課程途中の軍曹で敗戦になりましたが卒業扱いになっています。田中真紀子議員の「軍人」はこの経歴を採っているようです。
敗戦後は日本大学工学部の土木工学科を卒業して家業の石材店を継ぎましたが昭和30(1955)年に茨城県議員選挙に当選したことで政治家としての人生が始まりました。これはマスコミのイメージ操作もありますが田中派の議員は脂ぎっていて、好く言えば「清濁併せ吞む」、そのまま言えば「腹黒」な印象を受けて野僧は好きではありません。
実際、梶山幹事長も県議会議員だった昭和33(1958)年の衆議院選挙の買収容疑で逮捕されて起訴され、結果的には無罪になっても昭和46(1966)年に発覚した茨城黒い霧事件(県議会議長は1年で交代する慣例について退任者が「これでは赤字だ」と拒否したことで発覚した金銭の授受疑惑)でも最重要容疑者として名前が出ています。この時も逮捕された被疑者が否定する証言をしたため逮捕を免れましたが叩けば大量のホコリか立ちそうです。
それでも県議会議長在任中に茨城県を訪れた田中角栄議員にスカウトされて昭和44(1969)年の衆議院議員選挙に出馬して当選したのです。当然、田中角栄議員には絶対的忠誠を誓いロッキード事件で田中角栄首相が逮捕・収監されると東京拘置所から出所する時には「ヤクザだって親分が出所する時には迎えに行く」と駆けつけたためマスコミの集中砲火を浴びて次の選挙では落選しています。
そんな梶山さんもこの落選に懲りたのか金丸信(敬称不要)の田中派乗っ取りに同調して小沢一郎(同前)と共に創政会=竹下派の創設に貢献して小沢、小渕恵三首相、橋本龍太郎首相、羽田孜首相、渡部恒三議員、奥田敬和議員と共に「竹下派七奉行」と呼ばれました。
そして1987年に竹下登内閣で自治大臣兼国家公安委員長として初入閣したことで「軍人」たる面目を施しています。1988年3月26日の参議院予算委員会で「日本共産党」の議員が昭和52(1977)年から続発したアベック失踪事件について質問したのに対して「おそらくは北朝鮮による拉致の疑いが十分に濃厚でございます」と初めて日本政府として公式に拉致疑惑を認めたのです(親北朝鮮の金丸の心証は害したはず)。
しかし、佐川急便疑惑で竹下内閣が崩壊して金丸が失脚すると小沢が竹下派の乗っ取りを公然化したため後任に扱い易い羽田議員を押す小沢一派に対して小渕首相を担ぎ出して第2次「一六戦争(第1次は昭和55=1980年の鈴木善幸内閣の後任を巡る宮澤喜一首相と中曽根康弘首相を押す田中六介議員の宏池会内の抗争)」と呼ばれる派閥内構想を繰り広げて勝利しました。その意味では戦争ではなく政争のプロの「軍人」なのかも知れません。
  1. 2023/06/05(月) 15:04:48|
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