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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

人類の壁を破ったジム・ハインズさんの逝去を悼む。

6月3日に1960年6月に西ドイツのアルミン・ハリーさんが記録して以来、8年間破られなかったため「人類の壁ではないか」と言われていた10秒0を1968年に全アメリカ陸上選手権で9秒9を出して破り、その年のメキシコ市オリンピックでも9秒95で金メダルを獲得したジム・ハインズさんが亡くなったそうです。76歳でした。
この時期の陸上、特にトラック競技は手動式計測から電子式機械による計測への過渡期で東京オリンピックでも「弾丸(日本では勝手に『黒い』を付けていた)」と呼ばれていたアメリカのボブ・ヘイズさんが手動式計測では9秒9を出しましたが電子式機械では10秒0だったので公式にはこちらが採用されました。ちなみにハインズさんの9秒9も手動式計測で電子式機械では10秒03でしたが全アメリカ選手権では手動式が採用されたのです。
もっとも日本では1935年に「暁の超特急」吉岡隆徳さんが出した10秒3が1964年に西ドイツで行われた世界陸上大会でロケット・スタートの飯島秀雄さんが10秒1を出すまで35年間も破られず、10秒の壁は2019年6月7日にテキサス州オースティンで開かれた全アメリカ学生体育協会の屋外陸上選手権の決勝でガーナ人の父と日本人の母を持つサニブラウン・アナデル・ハチームくんが9秒97を出すまで厚く立ちはだかり
ハインズさんは1946年にアーカンソー州デュマで生まれ、アフリカ系市民による公民権運動の激化と対立が高まった時期はカリフォルニア州オークランドで育ちましたが、ベースボールを愛好する普通の高校生だったようです。ところが高校在学中に陸上部のコーチに並外れた脚力を見出されて短距離走に転向すると1968年にカリフォルニア州サクラメントで開催された全アメリカ陸上選手権で世界新記録を樹立してテキサス州のアフリカ系の学生を中心とする大学にスカウトされてその年に開催されるメキシコ市オリンピックに出場することになりました。
メキシコ市オリンピックでは人種差別政策を継続している南アフリカが出場するためアフリカ系の選手のボイコットが問題になりましたが、結局、出場を取り消されて鎮静化しています。この勝利に燃えたのか100メートル走の決勝では全選手がアフリカ系と言うオリンピック史上初めての状況になり、ハインズさんは電子式機械で9秒95、手動式計測でも9秒9と初めて電子式機械と手動式計測の両方で10秒突破が認定されたのです。この9秒95は1983年にカルヴィン・スミスさんが9秒93を出すまで15年間、世界記録を維持しました。
しかし、オリンピック後はボブ・ヘイズさんがダラス・カウボーイズに入団してオリンピックの金メダルとフットボールのチャンピオン・リングを獲得したようにはいかず、競技経験なしでマイアミ・ドルフィンズに入団したものの10試合、1970年に移籍したカンザスシティ・チーフスでも1試合に出場しただけで終わりました。ちなみに前述の飯島さんも代走専門の外野手としてロッテ・オリオンズに入団しましたが野球のリードからのダッシュが上達できず3年間で23盗塁を記録しただけでした。
自己最高100メートル12秒4(運動靴)でも徒競走では常に最下位の鈍足が憧れながらテレビで見たハインズさんのメキシコ市オリンピックでの雄姿を思い出しながら冥福を祈ります。
  1. 2023/06/07(水) 13:46:23|
  2. 追悼・告別・永訣文
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