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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

6月第2土曜日=今年は10日・チャグチャグ馬コ

明日6月の第2土曜日には岩手県滝沢市の鬼越蒼前神社から盛岡市の盛岡八幡宮までの15キロの農道を華やかに着飾った馬たちがチャグチャグと鈴を鳴らしながら4時間かけて練り歩く祭礼・チャグチャグ馬コ(うまっこ)が行われます。
野僧は中学生の頃から民俗学を研究していたため「チャグチャグ馬コ」を知っていて、空曹時代の航空自衛隊総合演習で三沢基地に行った時には盛岡市内の博物館や民俗資料館、図書館を回って色々調べました(記念にミニチュアの飾り馬も購入しました)。津軽在住の頃には「是非、見に行きたい」と思ったのですが当時は平日だったので休暇が取れませんでした。
チャグチャグ馬コは北海道和種=道産子や長野の木曽馬、愛媛の野間馬、対馬の対州馬、宮崎の御崎馬、鹿児島の吐噶喇馬、沖縄の宮古馬と与那国馬などの日本の固有種の馬の中でも大型で頑健な南部駒の産地で古くから牛以上に農耕に活躍していた馬の労をねぎらうため滝沢の農民たちが太陰暦の5月5日に鬼越蒼前神社に参詣させて(馬の)無病息災を祈願したのが始まりです。子供たちの成育祈願も兼ねるようになって今では小学生の男子が馬に乗りますが4時間の騎乗は流石に疲れてしまい馬上で居眠りする子供も多く、チャグチャグの鈴の音は心地よい子守唄なのかも知れません。それが藩主にお披露目するため盛岡城下まで足を延ばすようになったようです。昭和33(1958)年から2001年までは太陽暦の6月15日に催されていましたが、それ以降は学校が休みの6月の第2土曜日になっています。
源頼義・義家父子が奥州平泉の安倍氏を攻めた時も機動力の違いに苦しめられ、源平の合戦に参戦した奥州藤原氏の派遣軍が騎乗して実力を全国に知らしめた南部駒は鎌倉時代から武将たちの憧れでしたが、奥州藤原氏が滅亡して甲斐武田氏から分家した南部氏は馬を騎乗用と農耕用の駄馬に厳格に分けて飼育させて諸大名の求めを受けると相手に応じて格付けした馬を贈っていたようです(現在で言う血統書)。
ところが明治に入って陸軍が西洋式騎兵を取り入れるのに日本の固有種としては大型の南部駒でも体格・脚力の両方が劣り、荷駄を引く駄馬としてしか使えないことが判明しました。そうなると西洋化に馬突盲進していた明治の陸軍は岩手県を軍馬の飼育地に指定すると輸入した西洋種の馬を持ち込んで南部駒と交配させて量産し始めたのです。ところが輸入した西洋種の馬も必ずしも駿馬(しゅんめ=名馬)ではなく思うように品種の改良は進まず、生産量も騎兵連隊から騎兵旅団を編成するのに追いつかないで迎えた日露戦争では本場のコサック騎兵には歯が立たず、騎兵が地面を掘っての塹壕戦で対抗しました。
その後も岩手と青森の旧南部領では軍馬とサラブレットの競走馬の生産を続けましたが、結果的に南部駒の固有種は消滅して青森県の尻屋崎で放牧されている寒立馬(かんだちめ)さえも純粋な血統ではありません。また馬の生産も現在では競走馬は圧倒的に北海道、食用馬も熊本で岩手と青森の旧・南部領の牧場は観光用か史跡になりつつあります。
その意味でも南部駒の飼育と歩く姿を継承し(走らせないところが南部駒らしい)、歴史を語り継ぐ便(よすが)であるチャグチャグ馬コは末永く存続させてもらいたいものです。
  1. 2023/06/09(金) 15:22:05|
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