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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ515

「エレナさん、今度は岩国基地に行ってもらえませんか」数日後、近くの駐在所の警察官が屯田家の畑を訪れて国家非常時でなければ許し難い依頼を申し入れた。母と一緒に畑仕事に励んでいたエレナは困惑したように立ち尽くした。エレナが帰ってきてからの屯田局員は「お預け」を命じられた犬が「よし」と言われた時のように夫婦の営み励みまくっている。途中のコンビニで買ってきた栄養ドリンクを飲むと留守中にインターネットで研究した性技を実践している。エレナも初めて味わう快感に酔うようになり子造りは佳境に入っていた。そこで再び「お預け」と餌を取り上げられれば従順な忠犬でも「ウー」と鼻に皺を寄せて呻るはずだ。
「今度は通訳の仕事なので数日で終わると思います。それに県内ですから移動は簡単ですよ」警察官は母が気がついて歩み寄ってくる前に用件を伝えた。今日のエレナは以前と同様にトレーナーとオーバーオールのGパンに長靴を履き、頭には麦わら帽子と言うお洒落な農家の嫁と言った雰囲気だ。実は亡くなった加倍首相の妻は「モンペッコ」と言う昔の農家の女性たちの仕事着をお洒落にしたブランドを立ち上げているがエレナには似合いそうもない。
「今回は岩国基地の救難飛行艇が日本海で救助したロシア軍のパイロットの事情聴取の通訳をお願いしたいんです。ロシア語ができる人は広島市内でも見つかりますが、秘密保全と信頼性から言えばエレナさん以上の人はいません」「私・・・前の基地でも捕虜の尋問の通訳を頼まれました」エレナは帰宅する前に厳重な秘密保全を指導されていて業務内容を口にすることに躊躇したが、相手が警察官なのであえて説明した。エレナが勤務していた中国地方日本海側の基地には航空救難隊は配置されれいないが、上陸前のロシア軍の攻撃によって小松基地の管制装置が破壊されたため小松救難隊が移動してきていた。航空救難隊は北海道のオホーツク海で撃墜された航空自衛隊機のパイロットを救助する時にロシア軍機の攻撃を受けたが、その後もロシア軍機を含めた救助活動を継続しているため現在では無視されるようになっている。それでも自衛隊側に収容されて医官の診断が終われば捕虜として警務隊の事情聴取を受けるのは当然の流れだ。本業が多忙な隊員の代わりに帰宅前のエレナに通訳を依頼しても不思議はない。そこに立ち話をしている2人に気がついた母が近づいてきた。母は普通のモンペと白い長靴、割烹着に麦わら帽子と言う農家の妻の定番衣装だ。
「お母さん、今度は岩国基地に行って欲しいって・・・」「岩国って岩国ねェ」エレナの説明に母は妙な確認をしながら警察官の顔を見た。その表情はやはり険しい。警察官としても県警本部から連絡を受けた時には地域でも評判の熱愛夫婦を引き裂くことになる依頼には気が進まなかったが別の事情があって伝令になった。実はこの駐在所の担当地区には日本海側のレーダー・サイトへの派遣を命じられて退職した防府南基地の教育職の元空曹がいる。元空曹は実家に帰っても退職に至った経緯の悪評が広まっていて就職が決まらず、近所の住民からは「非国民」「国賊」と罵声を浴びせられて実家に同伴した妻に逃げられていた。その元空曹が「日本人以上の愛国者」と密かに称賛されているエレナを逆恨みしていると言う不穏な情報も耳にしている。元空曹は基地硬式野球部の選手として教育職になったらしいが女性問題を頻繁に起こして元女性自衛官の妻とは離婚寸前だったと母親が愚痴をこぼしていた。警察官としてはエレナがこの地を離れることは安全確保の上では願ったり叶ったりだった。
戦前は役場の戸籍課兵事係長が本人に手渡していた臨時召集令状=赤紙は警察署の金庫で保管していた。これでは役場を介さず警察が直接赤紙を配っているようだ。赤紙を手渡す時、兵事係長は無表情に「おめでとうございます」とだけ言って本人の胸の前に差し出すように指導されていたらしい。
「岩国だったら俺が送り迎えしてやるよ」帰宅した屯田局員は案の定、「お預け」の追い討ちをかけられた犬のように吠えた。山口県の東で南の端の岩国市から西で北の端の豊北町までは斜めに横断する形になり、距離としては約160キロ、自動車なら2時間半程度だから通えないことはない。問題はエレナの仕事は今回も絶対の秘密にしなければならないので休暇を申請する理由が作れないことだ。何よりも毎晩の子造りで郵便配達でバイクに乗ることが心配になるほど寝不足なのに岩国への往復となると居眠り運転が不安になる。
「エレナさんはお前が出征する代わりに日本を守ってくれているんだ。黙って送り出すのがお前の務めだ」珍しく反対を続ける屯田局員を祖父がたしなめた。認識は古いがそれはエレナの気持ちの代弁でもあった。エレナは無線傍受で聴いたロシア軍の将兵たちの会話で納得できない戦争に駆り立ててられる苦悩を知り、一刻も早い停戦を願うようになっていた。
「俺だって戦ったぞ」祖父の言葉に静かにうなずいたエレナを見て屯田局員は胸の奥に封印している秘密を漏らしてしまった。その言葉を祖父と両親は「自分の仕事で」と理解したが祖母だけは以前、「親しくしているレストランで潜入していた韓国軍の兵士が投げ損なった手榴弾で自縛した」と聞いている事件以来、毎朝欠かさず佛壇の前で長時間手を合わせて深く祈るようになったことと関連づけて思案していた。
  1. 2023/06/10(土) 14:31:38|
  2. 夜の連続小説9
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