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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ522

「後はお任せします」「流石にこれは僕の一存では決められないからワシントンの閣下の意見を伺うことにする」ニューヨークの大手新聞社のサニーパイル記者からの「編集部が応諾した」と言う一方的な決定の電話を受けて杉本は松山1佐に報告した。
共産党支配の中国の侵出でアジア方面での諜報活動の強化を迫られたアメリカ軍の強い要望で秘密裏に陸軍中野学校出身者によって設立されたこの組織はかつては存在さえも制服の最上層部しか知らず、活動は外務省にすら秘匿していた。そのためこの組織で勤務している自衛官たちは書類上は自衛隊を退役し、日本でも戸籍を抹消されて別人としてアメリカで暮らしていた。当然、杉本や松本にも岡倉が杉村、本間が今田と名乗っているように別の本名がある。パスポートもアメリカで行方不明になった人物の遺失物を防衛駐在官が入手して改造していて偽名はその人物のものだ。ところが加倍政権になって外務省の体質が大きく変わり、「国家戦略」と言う発想・視点での情報収集が活発化すると「軍事情報はミリタリー・トゥ・ミリタリー(軍人同士)」と言う国際常識も導入されて非合法ではあっても公然の秘密になった。そのため新品の偽造パスポートを受け取った松山千秋1佐は女性自衛官の妻帯同で着任し、続いて配属された若手2人には趣味で付けた単なる呼び名を使っている。
「本当に行く気なの」「アイツとは雑誌記者としてつき合ってるんだ。ジャーナリストが断るのは不自然だろう」松山1佐が在ワシントン防衛駐在官の帖佐将補に面談の予約を入れると自分のパソコンの席に座った杉本に本間が歩み寄って声をかけた。日本では1994年12月6日にルワンダでの自衛隊の難民救援活動を取材するために小型機で現地に向かっていたフジテレビと共同通信の記者が墜落事故によって殉職して以降、マスコミ労組が危険地帯への記者の派遣を拒否するようになって社員のジャーナリストは安全地帯で高い金で買ったフリー・ジャーナリストの取材記事や海外の報道を検証することもなく記事やニュースにしている。その点、欧米のジャーナリストには「真実を伝える」美学=使命感が維持されていて「日本人の杉本が母国の戦火の取材に誘われて断るはずがない」と言うのが常識なのだ。
「東北の時みたいに私は連れて行ってくれないの」「あの時は危なかっただろう。俺は普通の自衛隊なら定年退官しているから知り合いに会う可能性は低いが、お前なら同期や部下に会っても不思議はない。富山まで10師団が展開しているから元の輸送隊(第10後方支援連隊輸送隊)が活動しているはずだ」杉本の指摘に本間は顔を強張らせた。日系アメリカ人の雑誌記者として東北地区太平洋沖地震の自衛隊の災害派遣の海外マスコミの取材団に潜入した時、本間は東北方面隊総監部の輸送幕僚として勤務していた輸送学校の恩師だった下西2佐と対面寸前の窮地に陥った。あの時は杉本の機転で気づかれずに済んだが、秘匿している身元を暴露されるのは避けなければならない。実際、本間は高校時代に純潔を奪われた男と偶然に台湾で再会した上、向こうが名前を呼んで記憶していることが判明したため私怨を込めて口封じした。下西2佐も危なく恩を仇で返すところだった。
「俺もお前と虎(1人息子の景虎)を先祖の墓参りに連れて行きたいのが本音だが、そこはグッと堪えるしかない。墓参りはお前が退役してから豊橋も一緒に3人で行こう」「貴方ってそんな考え方をする人じゃあなかったわ。氷以上のドライアイスみたいに冷たくて・・・」確かに出会った頃の杉本は人間としての感情を持っていないかのように冷淡で目的を達するためには媚薬を使って女性を篭絡し、冷酷に人の生命を奪い、長年の同志として夫婦同然の関係にあった女性まで殺害している。そこには過熱しない機械のような冷静な計算が働き、初心者だった本間を情報要員にするための冷徹な個人教授になっていた。つまり全てに「冷」がつく人間性だった。それがタイで暴漢に襲われて強制性交される寸前の本間を救ってからは保護者としての温もりを感じさせるようになり、肉体関係を持って押しかけ女房になってからは厚着している保温用の衣類を1枚ずつ脱がすように素肌の体温を確かめられるようになっている。それが今では郷土愛に祖先供養ときた。本間としては困惑を越えて呆気に取られるしかない。
「朱に染まれば赤くなるって言うだろう。お前の身体の温もりが凍りついていた俺の心を溶かしたんだ。良妻賢母と暮らしていれば駄目親父でもマイホーム・パパになると言うことだな」杉本の返事を聞いて感激した本間は息子にも教えていない本名で呼びそうになってしまった。それを誤魔化すためにこちらを向いた杉本の膝に腰を下ろして「貴方」と声を掛けた。すると杉本も背後から抱き締めたが胸の膨らみが乏しい本間では愛撫にはならなかった。いくら肩の力が抜けたと言っても流石に職場でのそれは行き過ぎだ。
「杉本くん、自衛隊は間もなく新潟と北海道で反転攻勢に出る予定だ。君の郷土愛は理解するが自衛隊は確実に戦況を把握しているからあえて情報収集に赴いてもらう必要はない」「ですよね。私も上司に禁じられたと言う口実が欲しかっただけです」その日の午後、松山1佐と日本大使館の防衛駐在官室で帖佐将補と面談した杉本はやはり冷静な説明を返した。やはり杉本が今やるべきことはニューヨークからの東海岸での対日参戦の世論喚起なのだ。
  1. 2023/06/17(土) 14:42:26|
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