「サマロージ(動くな)」第2師団はいよいよ網走市の奪還に乗り出した。遠軽演習場に待機させていた第2戦車連隊が大半が住宅地の市街地を包囲すると道路網を低速で進攻し、その後に徒歩で続く第25普通科連隊の隊員が住宅の内部を捜索して地区単位で制圧を進めた。今日も上空からヘリコプターが投降を呼びかけているが、普通科の隊員たちにも航空自衛隊の語学要員が「動くな」「武器を捨てろ」「手を上げろ」のロシア語を片仮名で書いたカードが配られていた。
「いました。4名です」「生きていますが・・・かなり弱っています」市街戦の場合、ドアノブを動かすと部屋の中にいる敵に察知されてドアを銃撃される危険性が高いため足で蹴破るか、窓ガラスを破って手榴弾や音響閃光弾を投げ込むが、極寒の網走市では窓は二重の防寒サッシ、玄関も堅牢な二重構造のため鍵が掛っていなければロシア語を叫びながら開けている。
「庭に鹿をさばいた残骸がある。やはりこの家で生活していたんだな」1階のリビングルームのソファーとカーペットの上で横になっていたロシア兵たちは2人の自衛官が入ってきて銃口を向けても身体を起こすこともなく暗く濁ったような青い目で視線を向けただけだった。4人とも戦闘服ではなく住民が残していったくつろいだ私服を着ている。
「武器はないか」「この部屋には見当たりません」「銃は肌身離さず常時携帯するものだが・・・」「この様子では銃の重さが苦痛になったんじゃあないですか」陸曹の疑問に陸士長が答えた。遠軽駐屯地の第25普通科連隊は警察予備隊として配備された時には隊舎の建設が間に合わず、敷地として買収した種馬牧場の馬小屋で生活していた。冬の間中、隣接する演習場で繰り広げるスキー訓練では他の追随を許さず隊員たちには「風雪磨人」の異名が冠されている。そんな厳しい日常の中で若い陸士長は89式小銃を常時携帯することを苦痛に感じる時があるらしい。
「やはり手榴弾やナイフも持っていません」陸曹が銃を向けて陸士長が手早く身体検査をしたが、ポケットにはパック・ティッシュ以外何も入っていなかった。ロシアではティッシュ・ペーパーがあまり普及しておらず価格が日本の10倍するのでこの家の住人が置いていったパック・ティッシュを山分けして、5個パックの箱ティッシュを見つけると武器の代わりに抱えて愛用しているようだ。
「立て、並べって言うカードがありませんから困りましたね」「よし、お前はこいつらを見張ってろ。おかしな素振りを見せたら迷わず発砲して構わん。どうせロシア語じゃなければ通じないんだ。警告は不要だ。俺は武器を探してくる」「4人いますから場合によっては連射で良いですか」「うん、戦闘中だ。皆殺しにしろ」陸曹の指示に陸士長は小銃を構えたまま壁際に後退さった。ロシア兵たちは身体検査しているのでナイフも持っていないはずだが、4人を相手に腕力では勝てそうもない。陸士長は深く息を吐くと背中を反らして小銃を構え直した。89式小銃も64式小銃で欠陥とされていた切替軸部の操作が改善されておらず安全、連射、3点射(3発射つと引き金が戻る)、単射の切り替えには握把(グリップ)を放す必要がある(通常は人差し指で可能)。そのため陸士長はロシア兵との位置関係を考えて切替軸部を連射に合わせておいた。
「ウワー、ゲゲゲゲ、オエ、オエ、オエ、ゲー・・・」その時、廊下から陸曹の叫び声と激しく嘔吐する声が聞こえてきた。陸士長は多少のことには動じない陸曹のただならぬ様子に驚いたが、ロシア兵たちが嘲笑うような顔を見せたので警戒心を入れ直した。
「どうしましたか」「うん、浴場に人間の解体した遺骸がある。ここで食肉にしたんだ」ロシア兵たちに怪しい素振りがないことを確認して陸士長が声をかけると落ち着きを取り戻した陸曹が説明した。これまでも市街地に潜入した隊員たちから「解体されたロシア兵の遺骸を見た」と言う話は聞いていたが、その現場に立ち入ることになるとは思っていなかった。目撃した隊員たちによるとロシア兵は狩猟を嗜むらしく獲物の解体には手馴れていて、人間も腿や肩、背中などの筋肉が大きい部分の皮膚を綺麗に剥ぎ、骨が見えるまで削ぎ落していたらしい。その中で女性兵士の遺骸だけは尻や臍、乳房、性器などを抉り取って顔の周りに並べる猟奇性が見て取れたと言う。
ソビエト連邦軍は満州や樺太で襲撃した日本人開拓団の集落では生理がある年頃の女性を手当たり次第に凌辱した後に殺害したが、その手段は先に殺した夫や父親の遺骸の前で女性を犯し、溢れるほど体液を注ぎ込んだ性器に銃剣や棒を突き刺して殺したらしい。満州や樺太では進撃に追われていたため遺骸の解体にまで手が回らかったようだがソビエト連邦軍のロシア兵としては欲求不満だったのかも知れない。
「お前たち、舌舐めずりしなかったか・・・」陸士長は横になったまま唇を歪めた顔を向けているロシア兵たちが舌舐めずりしたような気がした。戦友の遺骸を解体して食べる経験をしたロシア兵にとっては敵である自衛官は良心の呵責を感じることなく食肉に加工できるはずだ。むしろ「栄養を摂っている自衛官なら美味かも知れない」などと恐ろしいことを考えているとすれば背筋が凍りつく。陸士長は発砲したくなる自分と戦いながら人差し指を伸ばして引き金を放した。
「よし、武器は玄関脇の台所にあった。小銃4丁と銃剣4本に弾薬1箱、実弾入り弾倉24本、手榴弾20個。ガスに水道、電気が止まっていては台所も無用の長物だったんだろう。雑然とした物置になっていたよ」「やはり小銃4丁は自分が門まで運びますから2曹はこいつらを何とかして下さい」「人喰い人種が怖くなったか・・・」陸士長の提案に陸曹は内心を見透かしたように答えた。捕虜は後から来るにトラックに乗せて簡易収容所にしている網走刑務所に運ぶことになっている。

イメージ画像(クルド人女性兵士の遺骸)
- 2023/06/21(水) 13:58:29|
- 夜の連続小説9
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