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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

6月24日・伊52が大西洋で撃沈された。

昭和19(1944)年の明日6月24日にドイツに派遣された日本海軍の潜水艦・伊52が大西洋の水深4000メートルの海域でアメリカ海軍の空母艦載機に撃沈されました。
伊52は昭和18(1943)年に呉海軍工廠で竣工した最新鋭潜水艦で就役後は各鎮守府(海上自衛隊では地方隊)に配属されていた潜水艦を一元運用するために昭和15(1940)年に新編されていた第6艦隊で各種任務に当たっていました。
昭和44(1944)年3月10日に技術習得のためナチス・ドイツに派遣される技術者(富士電機、富士通信機製造、東京計器、日本光学、愛知時計電機が各1名、三菱重工が2名)の輸送とナイス・ドイツでの最新兵器の受領と運搬の任務を帯びてフランス北西部の大西洋沿岸のロリアン軍港に向けて呉基地を出港しました。
日本海軍がナチス・ドイツに潜水艦を派遣するのは5回目で、1回目は伊30が昭和17(1942)年4月11日に呉基地を出港して8月6日にロリアン軍港に到着しましたが帰路にシンガポール港でイギリス軍が残置した浮遊機雷に触れて沈没しました。2回目は伊8が昭和18(1943)年6月1日にナチス・ドイツから譲渡されたUボート・U1224を回航する乗員を乗せて呉基地を出港して8月31日にフランス最大のブレスト軍港に到着、帰路は駐ドイツ海軍武官を同乗させて12月21日に帰還を果たしました。しかし、U1224=呂501は大西洋中央部でアメリカ海軍の空母艦載機に撃沈されました。3回目はキスカ島方面で活躍した伊34が昭和18(1943)年10月13日に呉基地を出港しましたが暗号を解読して待ち伏せしていたイギリス海軍の潜水艦にマラッカ海峡で11月13日に撃沈されました。4回目は伊29が昭和18(1943)年11月5日に後任の駐ドイツ海軍武官や航空機と電波兵器の技術士官、海軍大学校のドイツ語教授など17名を同乗させて呉基地を出港し、翌年3月11日にロシアン軍港に到着しましたが18名を同乗させた帰路にフィリピン沖のバシー海峡でアメリカ海軍の潜水艦に7月26日に撃沈されました。ただし、技術士官1名がシンガポールから輸送機で帰国したためメッサーシュミット262のジェットエンジンとメッサーシュミット163の液体ロケットエンジンの設計図が日本に届き、橘花と秋水になりました。
伊52はシンガポールに寄港中にナチス・ドイツから技術供与の対価として請求された錫やモリブデン、タングステンなどの鉱物資源やアヘン、ニキーネなどの薬物、天然ゴムなどを大量に購入して搭載し、4月27日に出港しました。しかし、この時点でアメリカ海軍は伊52の行動を把握していて5月20日に大西洋に入り、6月4日に赤道を越えた頃には攻撃準備を整えて、6月23日に潜水艦用レーダーを設置するために大西洋上でUボートと接触した時の交信で位置を特定してスペイン沖で航行中の空母1隻と駆逐艦5隻の艦隊を派遣すると艦載雷撃機を発艦させて23日の午後11時20分と24日の午前1時に反復攻撃を加えたのです。
この時の模様は1997年放送のNHKスペシャル「消えた潜水艦伊52」で海中での全速力のエンジン音と爆発から圧壊までの実録音声が流れ、伊52に積まれていた駐ドイツ大使館の活動資金用の金塊を狙う探索会社が撮影した海底に横たわる艦体の映像が放送されたため非常なリアリティーをもって追体験しました。
  1. 2023/06/23(金) 15:43:06|
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