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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

防衛=軍事産業の国営化が世界の軍事常識な訳

国内の防衛産業を支援する生産基盤法の成立を受けて政府は事業継続が困難になった防衛産業の工場を国が買い上げて製造を継続するだけでなく、帝国陸海軍や外国軍の「工廠(こうしょう)」のように国が工場を建設して装備品を製造することも可能とする方針のようです。
軍直営の軍需工場だった工廠で陸軍は主に銃器と火砲、弾薬を製造していて当初は東京、大阪に建設されましたが地方分散を図って名古屋や小倉、南満州にも機能を移転・拡張して戦時中はミャンマーやボルネオ、スマトラ、ジャワにも建設しました。海軍は艦艇でも一般の造船とは異なる技術を要する潜水艦などの建造とドッグに入れての修理、搭載する艦砲や銃器、弾薬、魚雷、航空機の照準器や計器、さらに燃料などを製造していてドッグでの修理の関係で呉、横須賀、舞鶴、佐世保の各鎮守府内(大湊は修理工場)や広島県の広、愛知県の豊川、神奈川県の高座と相模、山口県の光、宮城県の多賀城、三重県の鈴鹿と津、静岡県の沼津、長崎県の川棚に所在しました。
陸軍は海軍に比べて戦車や車両などの工業生産品の調達には熱心ではなく、後に航空機を導入するようになってようやく連携を図るようになりました。一方の海軍はイギリスを中心とするヨーロッパ各国で建造した艦艇を使用して日本の造船技術を先導する役割を果たしていましたが、航空機に関しては出遅れの感は否めず日本の航空技術の最高峰・糸山英夫博士を擁する中島飛行機を陸軍に独占されたため机上の論理のみで軍用機に必要な総合力を理解しない堀越二郎くんを重用する後発参入の三重工の欠陥品を採用することになりました。
敗戦後の防衛産業は戦前戦中に国家総動員で多くの企業が陸海軍の兵器を大増産したのとは反対にマスコミが「兵器工場」「死の商人」と言うレッテルを貼り、労働組合の従業員が作業を拒否するなど参入すること自体に困難を伴い、戦前から武器や航空機、艦艇などを製造していた企業が技術と歴史の継承として製造を再開したのです。
ところが昭和42(1967)年の佐藤栄作首相による国会答弁で「武器輸出三原則」が確定したため日本の防衛産業は海外に製品を輸出することは事実上、禁止されて必要最小限の調達数しかない自衛隊への納入価格で工場の維持運営費に従業員の給与と企業収益(国産であれば開発費も)を回収しなければならなくなり、価格は極めて割高になりました。
防衛庁も開発費を企業の損失にさせないために競合する他国の同様の兵器に比べて性能や価格が落ちても国産を採用する軍事の常識を逸脱した対応を続けた結果、日本の防衛産業は競争力を身につけないまま御用産業化してきたのです。
このように決して儲からない事業では企業は需要=自衛隊の調達予定を越えた工場の製造施設や工作機械、材料の在庫、予備の部品、技術者などを維持することはできず、戦争準備の段階で大幅な調達数量の増加を要求されても対応できるはずがなく、ましてや戦時の大量の消費や装備品の損耗には輸入原材料の遮断も加わって為す術がありません。
ここまでおんぶ抱っこしているのならばいっそのこと防衛産業を国営=工廠にして利益を度外視した製造能力を確保することは防衛力の基盤構築として必要です。
  1. 2023/06/24(土) 15:16:35|
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