1980年の明日6月27日に現在も真相が解明されておらず、そのミステリアスな展開から「ウスティカの悲劇」と呼ばれ、イタリアではオペラまで上演されているイタビア航空870便の墜落事故・事件が発生しました。
イタビア航空は1958年に設立され、1981年に運航停止になったイタリアの主に国内便を運航する航空会社でイギリス製の双発プロペラ機のデ・ハビラント104と4発プロペラ機の同114に始まり、1960年代は双発プロペラ機、1970年代になるとアメリカ製のジェット機のダグラスDC9、オランダ製のジェット機のフォッカー28など14機を運航していて、この事故・事件以前にも1960年10月14日にローマ発ジェノバ行きのデ・ハビラント114がエルバ島に墜落して乗客乗員11人全員が死亡、1963年3月30日にペスカーラ発ローマ行きの双発プロペラ機DC3がイタリア半島中央部のソーラ付近の山に墜落して乗客乗員8人全員が死亡、1973年1月1日にボローニャ発トリノ行きのフォッカー28がトリノ空港へ着陸中に墜落して乗客乗員42人のうち38人が死亡する事故を起こしていました。
この日の870便はイタリア半島北部のボローニャ発、コルシカ島北部のパリルモ行きのDC9で乗客77人と乗員4人が搭乗していました。現地時間の午後9時頃、航空管制レーダーがコルシカ島の北方空域を飛行中の870便に接近する未確認飛行物体を発見し、間もなくウスティカ島の北東25キロ付近のティレニア海に墜落したのを確認しました。
直ちに救助隊が現場海域に急行しましたが夜間の上、水深3700メートルだったので捜索は難航しました。それでも深海探査には実績があるフランスの協力を得て最終的に38人の遺骸とフライトレコーダーを含む機体の65パーセントを回収しました。
ところがその後、墜落原因を巡る複雑怪奇な謎が議論を加熱させることになったのです。先ず墜落直前に捕捉された航跡の正体について当時、リビア軍のミグ23が領空侵犯したためイタリア軍機が要撃して追跡すると別のリビア軍機が出現していたことが判明して「未確認飛行物体は空対空ミサイルではないか」との憶測が俎上にのぼり、発射したのが要撃したイタリア軍機なのかリビア軍機の反撃なのか、さらにリビア軍機の亡命を阻止するために後から出現したリビア軍機が発射したとの推理が過熱したのです(NATO軍の地対空ミサイル説まで登場した)。なおリビア軍機は7月18日になってイタリア南部のカラブリアに墜落しているのが発見されました。リビアに疑いが及ぶと機内後部のトイレに爆弾が仕掛けられたとするテロ説まで唱えられ、同年8月にネオ・ファシズム団体が起こしたボローニャ駅爆破事件によって犯人が置き換わりました。
機体の検証を含む事故調査委員会の原因究明でも結論が出なかったにも関わらずイタリアの司法はマスコミが強く主張していたイタリア軍機による空対空ミサイルの誤命中説を採用して空軍の上層部を刑事告発しましたが、公判を維持できるはずがなく全員が無罪になりました。するとマスコミは管制官が相次いで不審な突然死や自死を遂げていることから国家陰謀説にまで言及したのです。ここまでくると本気で考えていたのかが疑わしくなります。
- 2023/06/26(月) 15:42:23|
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