昭和54(1979)年の7月1日にソニーが好きな音楽を持ち運べる反面、自分の世界に閉じこもる孤立主義も発生・蔓延させた功罪半ばする携帯式小型カセットテープレコーダーのウォークマンを発売しました。
野僧が初めてウォークマンを見たのは大学の構内で小型のヘッドホンをはめてブツブツと何かを呟きながら歩いてくる学生とすれ違った時でした。野僧は電車の中の親父たちがトランジスター・ラジオを聴くのに使っているイヤホーンがヘッドホンになったのかと思って振り返るとその学生の腰のベルトには妙な箱状の機械が着いていてコードはそこから伸びていました。その後、同級生たちも中国語の講義にラジオカセットを持ち込んで中国人の教授(姉妹校の北京外語学院からの派遣教授でNHKの中国語講座にも出演していた)の発音を録音してウォークマンで聴きながら例の学生のようにブツブツと呟いて歩くようになりました。
やがて聴いているのが外国語の講義ではなくったようで呟きが鼻歌になり、それが列車の車内に広がるのには時間がかからず座席では親父はトランジスターラジオ、若者はウォークマンを聴いて過ごしていましたが好きな音楽を聴いている若者の表情が妙に楽しそうで顎でリズムを刻んでいるのが印象的でした。ただし、定価33000円と高価だったため極貧学生の野僧には手が届きませんでした。
ソニーがウォークマンを開発することになった切っ掛けは創業者の1人の井深大名誉会長が「旅客機の機内で音楽が聴ける小型のカセットレコーダーを作ってくれ」とオーディオ事業部長に個人的な依頼をしたため手頃な製品のスピーカーまで外してヘッドホンで聴くように改造して渡すとその音質の良さに驚嘆した井深名誉会長が盛田昭夫会長に聞かせ、商品化が決定したのです。
すると販売担当者から「録音機能が付いていないカセットテープレコーダーなど絶対に売れない」と反対意見が続出しましたが盛田会長の剛腕で押し切って開発に着手すると問題点の小型化もスピーカーを除去することで解決して意外に短期間で商品化できました。ところが前代未聞の商品の販売を電気店が躊躇したので知名度=認知度を広げるために社員が通勤時までウォークマンを着けて列車やバスに乗り、宣伝に励んだ結果、発売当初の7月は3000台に過ぎなかった販売数が8月以降は生産台数の30000台に達しました=売り切れ。
ウォークマンと言う商品名は和製英語なのでアメリカでは「動き回る」を意味するアバウツと組み合わせて「サウンド・アバウツ」、イギリスでは密航者を意味する「ストウ・アウェイ」に改名されましたが、来日した外国人が土産に購入して持ち帰ったので「ウォークマン」と言う和製英語も輸出・普及して定着しました。ところがそれが行き過ぎたのはオーストラリアで2002年に最高裁判所が「ウォークマンと言う呼称はポータブル式オーディオ・プレイヤーの一般名称化している」と言う司法判断を示したためソニーは商標登録できません。
野僧は航空自衛隊に入隊した時、愛用のカセット・テープレコーダーを持って行ったので同室の班員たち(当時は13人部屋だった)のカセットテープを交代で流して色々な歌手の楽曲を楽しみましたが、夏のボーナスでウォークマンを買うと黙って1人で聴くようになり部屋は不思議な静けさに包まれました。
- 2023/07/04(火) 14:59:30|
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