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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ538

「25普連(第25普通科連隊)が網走を奪還したそうだ」第25普通科連隊は網走地区への上陸部隊の指揮官・エロモスキー大佐の死を確認した時点で反転攻勢の完了を報告した。この吉報は上と同時に横にも広がり、旭川市内の山村の江団別の小中学校に設置された第2師団の捕虜収容所にも届いた。この収容所は旭川駐屯地の管轄になっているため所長は駐屯地司令の第2師団幕僚長が兼務しているが、実際に捕虜を収容してからは第52普通科連隊第2中隊の即応予備自衛官が実務全般を担当している。そんな予備自衛官たちに説明する中隊長の顔も今日は誇らしげだ。慣れない監視業務に気疲れしていた中隊長には小瓶の栄養剤になったようだ。
「それで捕虜は何人ですか」「今のところ士官2名を含む45名らしい」「そうなると総員92名になりますね。士官を除けば80名前後だから2個小隊ですか」中隊長の答えに3尉候補者出身の小隊長が受け入れに伴う組織の改編を提言した。捕虜たちの中には撃墜されてオホーツク海で航空自衛隊の救難隊に救助されたロシア軍の士官パイロットが6名、漁船で潜入していた将校斥候が1名、上陸部隊の士官が現時点で1名いるが下士官と兵の捕虜たちには気分転換と健康維持、解放時に渡す給与のために労働をさせなければならず(士官については任意)、ここでは所有者が避難している休耕農地で野菜を作らせている。本来であれば収穫が始まれば自給自足に移行したいところだが、捕虜の待遇に関する1948年8月12日のジュネーブ条約では第2次世界大戦までの現地部隊の兵士と同程度の量と質であれば合法とされていた捕虜の糧食が補給路の遮断によって日本軍守備隊が飢餓状態に陥ったため栄養失調で多くの捕虜が衰弱死した事実への反省から中立的国際機関が提供する食料を配給することになっている。ただし、北海道や新潟で行われている第2次日露戦争は憲法が国の交戦権を否定している日本が提訴しないため国際連合の安全保障理事会では戦争とは認定されておらず捕虜を支援する国際機関も機能を開始していない。そのため実際は自衛隊が隊員用の糧食を提供している。
「1つ、おぞましい情報があるんだ」「おぞましい・・・恐ろしいではないんですね」中隊長の顔が今度は嫌悪感と脅えが交差したのを見て小隊長が念を押した。還暦寸前の小隊長は子供だった昭和の時代に小中学校や町の公民館で開かれたソビエト連邦によるシベリア抑留を経験した老人の平和講話を聞いたが、1902年1月25日に旭川で記録した日本の最低気温マイナス41度よりも気温が下がるシベリアの奥地で丸太と粗末な板で作った隙間風が吹き込む床がない建物で生活させられた。しかも監督に当たっているソビエト連邦軍の将兵自身が流刑を受けた犯罪者だったため待遇は囚人以下になり、冬になると食事は覗くと目が映るから「目玉汁」と呼んでいた塩水のスープに穀物としか分類のしようがない飯だけで、、暖房用の石炭はソ連軍の将兵が独占してしまうため伐採した樹木の生の葉がついた枝と皮以外に燃料はなく、飲み水が凍ってしまうので尿意を訴えた戦友の男性器を咥えて飲んだと言っていた。ソビエト連邦はこの過酷な待遇で少なく見積もっても5万五千人の日本兵を殺したが、すでに戦争は終結していて国際法上は捕虜として抑留する根拠はなく、ヒトラーによるソビエト侵攻と祖国防衛戦で抑留したナチス・ドイツ軍の捕虜と同じ加虐趣味を日本軍に加えたかっただけかも知れない。これだけでも十分におぞましいが中隊長が吐き出すように口にした事実は確かに吐き気をもよおした。
「ロシア軍は死亡した同僚の遺骸を解体して食べていたそうだ」「ウッ・・・本当ですか」「住宅の浴室や車庫に解体した人間の遺骸が放置してあるのを捜索した隊員が見つけたんだ。ロシア人の多くは狩猟を嗜むから鹿や熊、狐に兎を撃って食料にしていたんだが、森の中で25普連に見つかって銃撃されるようになると市街地に転がっている仲間の遺骸に目をつけたらしい」ここまで来ると中隊長も無表情になり、感情を交えず淡々と事実を語り始めた。聞いている方もそうしたいのだが食べるために解体された人間の遺骸は想像もできず、想像できないから考えてしまい、深みにはまってしまっていた。
「金髪の若いロシア美人なら喰ってみたいですけどね」「本当に食べたようだ。現時点でWAC(アメリカ陸軍の女性兵士と陸の女性自衛官)の捕虜はいないが、少なくとも2人の解体された女性の遺骸が発見されている。こちらは集団で暴行した後で殺したらしい」同席している若い予備2曹が不快極まる重く淀んだ座の空気を掻き混ぜようと冗談を言ったがそれも逆効果だった。
「問題はそのような連中を今までの捕虜と一緒に収監しても大丈夫かと言うことだ」「まさか食事を与えられていて人肉まで食べようとは思わないでしょう」「味を覚てしまったなんてことはないでしょうね」同席している予備陸曹たちも流石に腰が引けたようで議論は上滑りしている。日本では昭和56年にパリで32歳の日本人留学生が25歳のオランダ人留学生を射殺して屍姦した上、乳房を切り取って生で食べ、その後も一部を解体してフライパンで調理して食べた猟奇的殺人事件があったが、それを知っているのは定年退官後に即応予備自衛官になった幹部だけで予備陸曹たちは対米英中戦争末期のニューギニア戦線や太平洋の離島守備隊が飢餓に陥って戦死・自決した戦友の人肉を食べた史実も学んでいなかった。
  1. 2023/07/06(木) 17:02:39|
  2. 夜の連続小説9
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