「お見事、セフティー・ランディング」パチパチパチ・・・。Uー4が旭川空港に無事に着陸すると私は航空自衛隊時代の習慣が復活して大きめの口上を呟いて拍手をしてしまった。私は航空機整備員だった頃、得度を受けて坊主になったことを知ったパイロットたちに「ご本尊さま」と呼ばれて可愛がられて色々な裏話を聞かせられた。中でも主翼が極端に小さいFー104Jの着陸の難しさについては熱弁を奮い「安全を祈願していてくれ」と口を揃えていた。考えてみれば離陸する時はエンジン出力を最大にして加速すれば小さい主翼でも必要な揚力が発生して浮上することができるが、着陸は滑走路内で停止するために速度を落とさなければならず当然、揚力は低下する。しかもエンジン推力だけで飛ぶロケットのようなFー104Jの主翼ではグライダー効果は「ない」に等しく、ベテラン・パイロットでも「着陸は緊張する」と言っていた。そのため民間航空でも着陸した時にはパイロットたちに賛辞を贈るようになったのだが、前方の席に1人ずつ座っている陸上総隊司令部のお歴々たちは座席の間で振り返って顔をしかめていた。それでも私としては梢が懐かしそうにつき合ってくれただけで満足だった。
「流石に気温が低いわね」「大雪山も旭岳は薄く白くなっていたからな」お歴々たちが前方の搭乗口から下りて先に出て待っていた機長と副操縦士の挨拶を受けるのを機内から見学しているとロードマスター(空中輸送員)が呼びに来て私と梢も機外に出た。すると晩秋の北海道の空気は流石に冷たかった。
Uー4の座席は進行方向の左側が2人掛け、右側が1人掛けで旭川市に近づいて高度を下げると右側の窓から大雪山の稜線が見え始めた。それなら左右に分かれて座れば良さそうだが私たちが離れるはずがない。また1人席は旅客機に比べて狭く、お歴々たちも2人席の中央のひじ掛けを上げてユッタリ座っていた。
「オランダの国際刑事裁判所の検察官だったモリヤ2佐ですね。お噂はかねがね」「まだ悪名が消えていませんか・・・久しぶりに航空自衛隊気分を満喫できました。ありがとうございました」今回は自分で搭乗口の手前の荷物置き場から手荷物を取ってタラップを下りるとお歴々を見送った機長と副操縦士が待っていた。機長は3佐なので元2佐の私にも挨拶したのかも知れないが、やはり表情は柔らかく口調は丁寧だ。この口ぶりから見ると私が陸上幕僚監部法務官室で勤務していた頃ではなく国際刑事裁判所に赴任してから存在を知ったようだ。今日の私は坊主らしく茶人帽を被っているので額に手を掲げて挙手の敬礼をすると2人も答礼した。入間基地に入る時も茶人帽を被っていたが無意識に合掌の10度の敬礼をしたから2時間弱の飛行で気分は完全に航空自衛官に戻っていた。梢が名札まで付け替えた昔の作業服は大正解だった。
それにしてもここは民間専用の旭川空港のはずだがUー4の周囲で働いているのは梢が入間基地で「やっぱり変なの」と言っていた航空自衛隊の迷彩服を着た隊員たちだ。黄色い燃料車もタンクの横に羽が生えた桜のマークが入っている。やはり北海道にロシア軍が侵攻して旭川空港に兵員を乗せた輸送機を強行着陸させようとした事態を受けて航空自衛隊が空輸拠点として管理運用するようになっているらしい。それにしても那覇時代は散々に煮え湯を吞ませられていた亡国官庁・運輸省の末裔である国土交通省がよくぞ明け渡したものだ。私が国際刑事裁判所から調査に赴いた海上保安庁もイージス護衛艦と漁船の衝突事故の裁判を担当した頃とは体質が全く違っていたからやはり加倍政権の国家戦略に組み込まれたことで意識改革が図られたのかも知れない。
「旭山動物園の動物たちはどうしていますか」お歴々たちは第2師団司令部が差し向けたパジェロ2両に分乗して先に出発していて私と梢は今度はOD色のカローラ・ワゴンの業務車2号だった。将官である幕僚長にも黒塗りのクラウンかセドリックの業務車3号ではなかったので第2師団司令部は道北各地に展開している部隊との移動や連絡に車両が出払っていて部外者の送迎にはこれで手一杯だったのだろう。運転手は迷彩服を着たWACなので梢も気軽に話すことができる。この質問は東京のマスコミが殊更に報じ始めている戦時中に全国の動物園で飼育動物を殺処分した話題に関してだった。
「旭山動物園は職員が避難を拒否して札幌の丸山動物園から届く餌を与えています。ここだけの話、自衛隊の輸送機や車両にも載せて運んでるんですよ」WACの説明に梢は安堵したように溜息をついた。東京では大手新聞が日曜日の子供コーナーで上野動物園の象のはな子とジョンが戦時猛獣処分として飢え死にさせられた記事に生前の子供たちに愛されていた頃から痩せて衰弱していく姿に遺骸の写真まで掲載し、さらに道北と道東の悲劇の舞台として旭山動物園とムツゴロウ動物王国の平和な頃の写真を並べながら「今、戦争を止めないとこの動物たちも・・・」とまとめていた。幸いなことにその悲劇は同知事の寛大な処置と職員の勇気によって回避されているようだ。ただし、昭和18年に始まった戦時猛獣処分は餌を与え続ける負担と空襲によって柵や檻が破損した時に猛獣が逃亡する危険が理由とされているが、その時点で本土空襲は始まっておらず陸軍も通達を出していない。実際は大陸で空襲を体験していた東京府知事が独断で上野動物園に命令し、それを悲劇的愛国行動とマスコミが賞賛したため全国の動物園も同調せざるを得なくなったのだ。結局、これもマスコミの罪だ。
- 2023/07/15(土) 13:55:42|
- 夜の連続小説9
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0