「最高検察庁から来られたモリヤ検察官とモリヤ秘書です」「はい、聞いています。気をつけ」業務車2号で旭川駐屯地に入ると運転手のWACの3曹は哨舎に立っている歩哨の3曹に説明した。すると歩哨は後席の私と梢を覗き込んだ後、車両を1周回って窓越しに荷台に積んである荷物まで確認してから警衛所に向かって号令をかけた。陸上自衛隊では帝国陸軍の士官が門を通過する時に「気をつけ」の号令をかけて警衛司令が「服務中異常なし」と報告する不文律(関係規則には明記していない)を継承している。しかし、私は元2佐であっても現役ではないのでこれにはいささか戸惑ってしまった。それでも直立不動の姿勢で挙手の敬礼をして「服務中異常なし」と報告してきた警衛司令の曹長に合掌で答礼した。運転手のWACによれば駐屯地の警衛は即応予備自衛官ではなく一般の予備自衛官が当たっているとのことだ。
「これは大先輩、ようこそ最前線に」運転手のWACが第119地区警務隊の隊舎の前に業務車2号を停車させると中から迷彩服に黒地に白い文字で「警務」と記した腕章をはめた隊員たちが先を争うように出てきた。荷物を下ろすためにカローラ・ワゴンの後部ドアを開けていたWACは唖然としていた。
私は祖父が憲兵上等兵だったこともあり、国際刑事裁判所に検察官として赴任するに当たって警務幹部を兼務したように妙な親近感を抱いているが、運転手のWACにとって警務隊は交通事故や違反を犯せば厳しく取り調べられる恐ろしい存在のようでこのハシャイダような態度は想定外だったらしい。
「お出迎え恐れ入ります。旭川のMPの仕事は市ヶ谷で拝読していますよ。あれだけの訴状だったら国際刑事裁判所の検察も苦労しないんですがね」荷物を受け取った私は出てきたままに出入り口まで1列に並んだ警務官たちの先頭に立っている2佐と握手しながら挨拶を返した。警務幹部を兼務することになった時、警務隊本部で聞いた裏話によれば証拠として押収する時を除けば他人の荷物に触れることは避けるそうで私が提げている演習用バッグも受け取ってくれない。おそらく警務隊では指紋を採取する必要が生じる可能性を考えているのだろう。
「こちらが奥さんのモリヤ秘書ですね。はじめまして、第119地区警務隊長の増田2佐です」私が隣りに立っている1尉の前に移動すると警務隊長は後ろに控えていた梢に声をかけた。しかし、手は握らなかった。これも警務隊本部で聞いた裏話だが女性の身体に触れることで性犯罪を捏造される危険性を考えているそうだ。
日本では自衛隊自体が相変らずマスコミや批判勢力に存在悪にされている上、警務隊は戦前に治安維持法の執行機関として設置された特別高等警察が行っていた思想弾圧の罪を被せられた憲兵の凶悪なイメージを押しつけられているので万事に細心の注意を払わなければならないのだ。私も警務幹部を兼務していたが遠く離れたオランダで勤務していたので野放図に振る舞っていたような気がする。何だか申し訳なくなってきた。
「どうも検察庁は戦時国際法に関する認識が薄いようで戦闘行為に日本の刑法を適用するつもりのようです」「その問題は東京の最高検察庁でも聞いています。大体、日本では戦時と平時に厳格な一線を画していますが現在の国際法では武力紛争と国家意思の発動である戦争の間に区分は引いていません。要するに日本の司法は国内法だけで仕事をしているから国際法を学ぶ必要はなくて時代に乗り遅れているんです」そう言う私も国際法だけで仕事していたので国内法を忘れかけている。特にオランダでは全く車を運転しなかったので技量だけでなく免許更新に道路交通法の学科試験があればかなり危ない。今回、帰国して住所変更に行った警察署の交通課で自転車に乗るのにヘルメットが努力義務になったと聞いて唖然としてしまった。
しかし、国際刑事裁判所の日本人の判事は初代の祭賀久美子判事と2代目の戸崎久仁子判事は外務省から出向していた元外交官だったが現在の高根智子判事は地方裁判所長を務めた元法務官僚だ。やはり実力で司法試験に受かった人種はまぐれ当たりの私とは頭の造りが違うのだ。
「しかし、日本国内法でロシア軍の戦闘行動を犯罪化しても、ロシア側がハーグ1899年7月29日陸戦の法規慣習に関する条約やジュネーブ捕虜の待遇に関する1949年8月12日のジュネーブ条約の交戦者の必要用件を満たしていることを根拠に抗告すれば公判が維持できないだろう」「それを私も札幌で検察官に説明したのですが同意してもらえませんでした」この辺りが私を本人の意思に関係なく帰国させて現在の職務に就けた理由のようだが、日本の司法が裁判において国内法よりも国際法を尊重するほど柔軟であるとは到底思えない。むしろ逆の体質を目の当たりにし続けているので「理由を作って早く退職したい」と言うのが本音だった。
「それでは東京の本部に送った以外の現場写真をご覧いただきましょう。奥さまは・・・」「私は大丈夫です。夫が戦地の現地調査で撮影してきた写真の解説を書きましたから多少の残酷な写真ではPTSDにはなりません」雑談が終わったところで警務隊長は撮影現場ごとに分けて年月日と住所を記した茶封筒の束を机に乗せた。梢は私が最初にコートジボアールの内戦の現地調査に赴いた時、悲惨極まりない写真を見ながら英文の解説を書いたが、心配する私に「沖縄の学校の平和教育でこれ以上の沖縄戦の写真を見せられた」と言っていた。
- 2023/07/16(日) 14:56:08|
- 夜の連続小説9
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