野僧たちが育った昭和の時代には敗戦後に占領軍に再教育された「民主主義の原理」として「多数決の原則」を学びました。現代の日本社会では「多数決の原則」は当たり前すぎて「別の決め方があるのか?」と疑問を持たれるかも知れませんが、戦前の日本社会では家庭内から集落、市町村、道府県(東京都になったのは昭和18年7月1日)、そして国家まで権力者の意見が絶対で、家庭なら亭主=親父、集落なら地主、市町村なら官選(議会の推薦で内務大臣が任命した)の市町村長よりも有権者に選ばれた大物議員、道府県なら組織を差配する古参の職員、そして国家では古くは薩長土肥の藩閥、軍国主義が勃興すると陸軍が権勢を奮い、役職上の最高権力者も顔色を窺って戦々恐々としていたのです。子供たちの間でも餓鬼大将が君臨して男社会を形成していきました。ところが小学校に入学すると多数決を教育され、その手始めとして学級委員の選挙が行われました。
こうして多数決で選ばれた学級委員が餓鬼大将以上の指導力を発揮するのを目の当たりにて昭和世代は民主主義を体得していったのですが「善なる日本人」を象徴しておられた昭和の陛下が崩御されて、「軽薄」そのものの平成の天皇が即位するとマスコミは日本人を劣化させる方向への世論誘導を公然化しました。
それが「少数意見の尊重」で先ず自民党が単独過半数を維持する国会を含めて多数決の原則を「数の横暴」と否定することから始め、続いて少数派の主張を弱者救済の美名の下に喧伝し、そのイメージ戦略として身体障害者の社会進出を推進して、カタワ(野僧も重度身体障害者=と断っておかないと非難を浴びる)の運動会を人類の身体能力の限界を堪能する健常者のオリンピックと同格に扱い、これに同調しない者を「差別者」として社会から抹殺していきました。続いて日本では江戸時代まで「両刀使い」として認められてきた同性愛者も普通の性的趣味の人々が違和感を持つことを「差別」と断罪して、トイレの男女区分や温泉を含む公衆浴場の区別まで圧倒的多数の正常な性的趣味の人々の安心感よりも尊重させようとしています。
ところがマスコミは読者・視聴者の理解を得ることが難しそうな問題は黙殺していて例えばヨーロッパでは同性愛と同列の扱いになっている離婚による父子・母子家庭の一般化で急増している近親相姦や兄妹・姉弟婚などは日本のマスコミは取り上げません。ところで性的志向の少数派を尊重するのならSM趣味は駄目なんでしょうか。昔は内務班(=空海自衛隊の独身寮)に鞭や火傷をしない低温で溶ける蝋燭などを隠し持っていてロープで亀甲縛りを研究している先輩がいましたが独身だったので誰に使ったのかは不明です。
さらに末期患者や重度身体障害者を中心とする「安楽死」の世論喚起は日本では昭和37(1962)年12月22日に名古屋高等裁判所が世界に先駆けて司法判断を示し、1991年4月13日に東海大学病院、1993年11月2日に川崎協同病院で医師個人の判断で実施されましたが結果的に刑事裁判に訴追されて、医学会が本質的議論を封印したため2002年にオランダが正式に法律化してヨーロッパ各地に広まっていても日本では議論にさえなっておらず、超高齢化を迎えて避けては通れない問題でありながらマスコミは果たすべき責任を放棄しています。マスコミは変態たちの異常性の宣伝に励むくらいなら必要な世論喚起に取り組むべきです。
- 2023/07/16(日) 14:57:29|
- 時事阿呆談
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