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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

安堵?この国にも正常な暮らしが戻ってきたのかも知れない。

小庵は本州の最西端にあるため2011年3月11日の東北地区太平洋沖地震の後、西方浄土に向かう死者の魂魄の団体が集合して「ここは寺か」と話し合っているようなので試しに訳を尋ねると「家族が全員死んでしまって喪主がいない」「寺は津波や崖崩れで崩壊してしまって住職は避難した」と言う説明して「供養してもらわなければ成佛できない」と声を揃えて訴えました。以来、野僧は「命が尽きれば道案内を務めよう」と不眠不休で読経と念佛を続けましたが、知らない間に意識を失って倒れ、数日間眠り放しで死に損なってしまいました。
ところが西方浄土への道案内の法要が評判になったのかその年の盂蘭盆会には西方浄土から帰省した魂魄の団体がやって来て「帰っても誰も生き残っていない」「墓も倒壊したまま放置されている」「寺もまだ再建されていない」と訴えて小庵に逗留して随分賑やかな盂蘭盆会になりました。魂魄がいると空気が冷えるので盆の間は涼しく快適に過ごすことができて助かりました。
そんな小庵は檀家・門徒を持たないため法要に関しては2月15日の涅槃会、4月8日の降誕会、太陰暦の4月8日から15日のウェサック満月、12月1日から8日の臘八接心後の成道会と大晦日の除夜の鐘の後の年頭法要、そして8月15日の盂蘭盆会の佛忌。他には日清日露戦争と対米英中戦争の各開戦と敗戦の日(対米英中戦争は降伏文書に調印した9月2日)、そして沖縄戦の慰霊の日、広島と長崎の原爆の戦没者と阪神淡路大震災や東北地区太平洋沖地震、熊本地震などの大災害の犠牲者の慰霊を勤めていますが、春と秋の彼岸については本来は宮中の先祖供養の祭儀が神道に広まり、それを佛教も模倣したに過ぎず(江戸時代までは村の鎮守の祭礼を住職が執行することも多かった)、日本以外の佛教国では勤めていないため小庵では無視していますが、それでも西方浄土からの団体の魂魄が苦情を言うことはありませんでした。
ところが2020年の春節に共産党中国の細菌兵器が世界各国に拡散して日本でも伝染が確認されると仕事までも在宅勤務が推奨されるような行動制限が始まり、さらに感染者だった有名・大物芸能人が死んでも葬儀が行われなかったことで一般市民もそれを当然視するようになって小庵には関東圏を中心とする地域で亡くなった魂魄が立ち寄って「葬儀をやってもらっていない」と訴えるようになりました。
その頃の野僧は東北地区太平洋沖地震の時のような体力や覇気はなかったので「朝と夕のお経の前には鐘を打つから聞こえたら集まりなさい」と説明して供養を勤めていました。すると関東の人間は死んでも東北人のような遠慮は身につかないようで太陽暦の7月15日の関東圏と加賀・金沢地区限定の盂蘭盆会に帰省してきて「ウチでは新型コロナを名目にして法事はパスだ」と勤経を要求し、ここ数年は春と秋の彼岸にまで気配を現わして拒否する野僧と無言の問答になりました。
しかし、行動制限が解除された今年の7月15日はとても静かで、魂魄がいないせいか室温が高くてエアコンがない生活が堪えています。これも遺族と菩提寺が供養を再開したのなら幸いですが、ここまで天罰が続くようだと手遅れでないことを祈ります(一度だけ姿を現した髪が長い白いワンピースの若い女性の幽霊は誰だろうか?)。
  1. 2023/07/18(火) 13:49:34|
  2. 常々臭ッ(つねづねくさッ)
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