fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ554

この捕虜収容所では給食は校舎の裏手にある体育館で食べるようで作業を終えて手を洗った捕虜たちは給食用のお盆に食器を載せて配膳係のテーブルの前に列を作っていた。ロシアでは冬季は水が凍結するため小まめに手を洗う習慣がなかったがこの収容所では衛生上の観点から指導したらしい。生活習慣の相違を強要すると終戦後に虐待として告発されることも珍しくないが衛生上の有効性は認められるはずだ。
対米英中戦争でも日本軍の捕虜収容所に収監された欧米人の捕虜は箸が使えないため「手掴みで食べさせた」と告発し、筋肉疲労を訴える捕虜に厚意で灸を据えた日本兵は火傷を負わせる拷問として死刑になっている。仮に手を洗う行為を拷問にするのならどのような罪状が該当するのかを考えてみたが「手を拭く布が必要になるため余計な労力を付加された」と言うコジツケくらいしか浮かばない。しかし、極東軍事裁判所=東京裁判をはじめとする対米英中戦争後の戦争犯罪裁判における罪状の多くは後進のアジア人に敗れた恥辱を晴らすために処罰することを目的にしたコジツケにもならない低レベルで悪質な一方的断罪だった。
全校生徒・児童よりも多い92名の捕虜に使わせる大人用の机と椅子が確保できなかったようで体育館には士官10人と自衛官の人数分だけ中学生の教室から運んできた机と椅子が用意してあり、下士官と兵士は床に車座を作って座っていた。アメリカ軍(最近は自衛隊でも導入している)では下士官と兵士を統括する先任曹長は各級部隊の長の次級者の副司令官、副隊長と同格とされているがロシア軍の制度は判らないのであえて配慮はしなかったようだ。確かに捕虜の待遇に関する1948年8月12日のジュネーブ条約では士官の地位の尊重は規定されているが先任曹長に関しては触れていない。
すると捕虜の1人が立ち上がって聞き覚えがある歌を詠唱し始めた。同時に席に座っている10人の士官と床に座っている下士官と兵士たちも厳粛な面持ちで頭(こうべ)を垂れた。横を見ると第2中隊長以下の自衛官たちも真顔で唄っている捕虜を見つめている。それを警務隊長と警務官の陸曹が困惑した顔で傍観していた。
「これはロシア正教の讃美歌だな。昔、モスクワ放送のクリスマス特集で聴いたことがあるよ」「ヨーロッパのカソリックとは曲調が違うのね。こちらの方が艶やかな感じ」厳粛な雰囲気を乱さないように私と梢は机の下で手を握るとほぼ無言で会話した。私がモスクワ放送を聴いていた頃はソビエト連邦だったので番組は帝政ロシア時代の史実と宗教色は抜きだったが、ロシアの芸術の優位性を誇示するコーナーだけはチャイコフスキーやムソルグスキーの作品を流すことがあった(普段はショスタコーヴィチが多かった)。たまたまその年の放送日が1月7日のロシア正教のクリスマスに重なったのかも知れない。
配膳が終わり、係も席についたのを確認した捕虜は詠唱を止めて日本の佛教の焼香のように右手の親指、人差し指、中指を揃えて額に触れた。続いて胸、さらに右肩、左肩に触れて十字を切ってから「アミン(ギリシャ語のアーメン)」と唱え、全員が声を揃えて唱和した。私と梢はオランダや旅行の先々でカソリックの人々が十字を切るのを見てきたが肩の左右が逆だったような気がする。それにカソリックでも敬虔な信者は指で身体に触れる時、「父と」「子と」「聖霊の」「御名によって」と三位一体の信仰告白を呟いていた。
「そうだッ、モリヤ検事に佛教式の食前の作法を展示してもらいましょう。前から日本人は手を合わせて『イタダキマス』と言うだけで良いのかって追及されているんです」捕虜たちの「アミン」に合わせて「イタダキマス」を唱えて先割れスプーンを取ると第2中隊長が唐突に妙な依頼をしてきた。私は坊主とは言え本山や僧堂での修行の経験はなく、佛教の作法と言われても祖父の寺での小坊主生活で教えられた程度で素人に近い。今は浄土宗の坊主らしく「南無阿弥陀佛」と同じ6文字の「いただきます」で十分だと思っている。しかし、これは文化交流による相互理解の一助になりそうなので断ることができず梢と一緒に立ち上がった。
「折角、美しいロシア正教の食前の祈りを見せてもらったので、これから日本の佛教の食前の作法を披露します。小道具がないので言葉だけですが意味は分からなくても聞いていて下さい」隣で梢がロシア語で通訳すると同席している航空自衛隊の語学要員は浮かした腰を即座に下ろした。禅宗の食事の作法は食器の取り扱いを伴うので2人も椅子に坐った。私は作務衣を着ているとので坊主であることの説明は不要だろう。
「1つには功の多少を計り、彼の来処を量る。2つには己れが徳行の全缺を忖って供に応ず。3つには・・・」この五観の偈は戒尺を打ちながら唱えると緊張感を演出できるのだが今回は言葉だけなので飯用の食器を捧げ持つ動作を展示した。修行僧が用いる応量器も粥の時は匙なので先割れスプーンはたすかる。
「上分三宝 中分四恩 下及六道 皆同供養 一口為断一切悪 二口為修一切善 三口為度諸衆生 皆共成佛道・・・南無阿弥陀佛」この偈文は小坊主として寺に預けられて1週間ほど唱えたが憶えたところで省略された。それでも寺で食事をいただく時には必ず唱えていたので記憶は完璧だった。こうして食事を終えて中隊長室に戻ると森田謙作予備2曹が待っていた。父親も女たらしの色男だったが勝るとも劣らないイケメンだ。
  1. 2023/07/22(土) 14:32:47|
  2. 夜の連続小説9
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<タツノコプロの九里一平さんの逝去を悼む。 | ホーム | 体験談として語るNHK連どら「らんまん」の槙野万太郎>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/8563-820eec04
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)