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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

タツノコプロの九里一平さんの逝去を悼む。

7月1日に野僧が子供の頃に視聴した昭和のテレビアニメでも戦史アニメンタリー「決断」や「マッハGoGoGo」「紅三四郎」「科学忍者隊ガッチャマン」などの他のプロダクションの作品にはない鮮やかな色彩とダイナミックな画面が鮮烈に記憶に残っているタツノコプロの創業者・吉田3兄弟の末弟で大半の作品の演出と総監督を務めた九里一平(くりいっぺい)さんが亡くなったそうです。83歳でした。
野僧が子供の頃のテレビのアニメは主に東映動画などの戦前からアニメ映画を製作していた映画会社傘下の会社と東京ムービーなどのテレビ局が創設した新会社の作品でしたが、やがて手塚治虫先生の作品に始まり、「わんぱく探偵団(昭和43年から44年)」「アニマル1(昭和43年=メキシコオリンピックの開催年)」「ムーミン(昭和44年から47年)」「あしたのジョー(昭和45年から46年)」「国松さまのお通りだい(昭和46年から47年)」「小さなバイキングビッケ」などを製作した手塚プロダクション=通称・虫プロの作品が目立つようになり、そこに衝撃的に登場したのがタツノコプロでした。
九里さんは昭和15(1940)年の元旦に京都市で生まれで5歳で敗戦を迎え、占領軍の姿を見ながら育ったため「日本人を止めてアメリカ人になりたい」と願うようになり、幼い頃から占領軍放出のアメリカの漫画を絵本代わりに読んでいたため挿絵画家と漫画家として活躍していた長兄の下に次兄と一緒に上京して昭和37(1962)年に兄たちと一緒にタツノコプロを創設してアニメ制作に携わるようになってからも日本人の感覚から外れた色彩や衝撃的な画面を大胆に使うようになったそうです。
タツノコプロと言えば「宇宙エース(昭和40年)」に始まり、大ブームになった「マッハGoGoGo(昭和42年から43年)」と「おらぁグズラだど(同前)」「ドカチン(昭和43年)」「紅三四郎(昭和44年)」「ハクション大魔王(昭和44年から45年)」「みなしごハッチ(昭和45年から46年)」「いなかっぺ大将(昭和45年から47年)」「決断(昭和46年)」「科学忍者隊ガッチャマン(昭和47年から49年)」など全て主題歌が唄える作品が並びますが「マッハGoGoGo」のオープニングのタイトルバックではレース中にマッハ号と接触した並走車がコース外に弾き飛ばされて爆発する場面が描かれていて交通事故が多発していた時代の子供としては「ドライバーが死んじゃった=主人公の三船豪は人殺しだ」と怒っていました。
また「決断」では写真資料が残っている艦艇や航空機、将官などの描写は極めて性格でしたが、それ以外は意外にいい加減で(特に軍服や階級章、軍刀などの組み合わせ)帝国陸海軍に関する基礎知識が乏しかったことを推察しました。やはり占領下で育った世代だったのでしょう。
その一方で「ガッチャマン」のアクションシーンでは白鳥のジュンがギャラクターを蹴り上げるとミニスカートから太腿と一緒に下着が見えるため中学生になっていた後半では身を乗り出してしまいました。このような演出もアニメと言うよりもハイウッド映画的でした。タツノコプロの作品の主題歌を唄いながら冥福を祈りますがドカチンの「テーテッテポッポテーテッテポッポ・ブニャーブニャー」は55年ぶりです。瞑黙
  1. 2023/07/22(土) 14:34:05|
  2. 追悼・告別・永訣文
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