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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

7月26日・世界を股に掛けた伊29が撃沈された。

昭和19(1944)年の明日7月29日に潜水艦・伊29が日露戦争における帝政ロシア・バルチック艦隊と同じく喜望峰を迂回しての航路でナチス・ドイツの軍港になっていたフランスのロリアン港に到着し、帰路には多くの最新兵器を積んでいながら日本に到着することなくフィリピン近海のバリンタン海峡で撃沈されました。
伊29は巡洋潜水艦と呼ばれた伊15級の20隻でも10番艦で兄弟艦にはソロモン海域でアメリカ海軍の航空母艦・ワスプを撃沈し、戦艦・ノースカロライナを大破させた伊19(この時の艦長は伊29と運命を共にした木梨鷹一中佐)やアメリカ本土の石油施設に砲撃を加えた伊17、艦載水上機で空襲した伊25、さらにドイツに派遣された5隻の潜水艦のうち第2次の伊8と第5次の伊56を除く伊30、伊34、伊29の3隻は伊15級でした。
伊29は昭和17(1942)年2月に配属されてからは5月31日の特殊潜航艇・甲標的によるシドニー港への奇襲攻撃では艦載水上機で事前偵察を行って港内に停泊している艦船を確認し、それ以降は太平洋からインド洋にかけての通商破壊では米英に限らずヨーロッパ各国の艦船7隻を撃沈して多大な損害を与えました。
伊29はドイツに派遣される以前にもインド洋上でUボートと接触していて昭和18(1943)年4月5日に海軍中佐2名と89式酸素魚雷1本、魚雷艇用の2式魚雷2本、在ベルリン日本大使館の工作資金として金の延べ棒2トン、航空母艦・赤城と特殊潜航艇の設計図などを積んでインド洋での活動の母港にしていたマレー半島のインド洋側の島・ペナンを出航して27日にマダガスカル島の沖でU180と接触して海軍士官2名と積み荷を渡して代わりにインド独立運動の指導者・チャンドラ・ボースさんと秘書、吸着地雷(磁力で敵戦車に吸着させて装甲を破壊する地雷)1発やボールト(ソナー欺瞞用デコイ)432個、砲身、弾薬にマラリヤの特効薬のキニーネ2トンを受け取ってインドネシアのサバンに到着しました。伊29の名はこの一件で有名になりました。
そしてドイツに向かったのは木梨中佐が10月10日に艦長に着任したばかりの昭和18(1943)年11月5日で他の潜水艦と同じく呉基地から出航しました。そして14日にシンガポールに到着して生ゴム80トンやタングステン30トン、錫50トン、亜鉛2トンからコーヒーまでを満載した上に駐ドイツ武官として赴任する海軍少将と留学する技術者16人を乗艦させて出航し、翌年2月11日にロレアン軍港に入港しました。
帰路は日本ではロケット機・秋水になるメッサーシュミット163とジェット機・橘花になるメッサーシュミット262の設計図とエンジンの実物ほかの大量の積み荷と18名を乗艦させて4月16日に出港し、6月11日に大西洋で撃沈される伊56とすれ違いながら7月14日にシンガポールに到着、人間と設計図を下ろしました。この時、技術士官が設計図を持って空路で日本に帰ったので橘花と秋水が制作されたのです。
しかし、伊56と同じく交信はイギリス、アメリカ軍に傍受・解読されていて(積み荷の中にはエニグマ暗号機もあったが1939年にイギリスに解読されていた)、シンガポールを出航した時点でアメリカ海軍の潜水艦の待ち伏せが始まり、現地時間午後4時45分に浮上航行中に発見されて魚雷4発を発射されて3発が命中、積載していた最新機材と共に海底に沈みました。この時、甲板にいた3名のうち1名が島に泳ぎ着いて生き残りました。
  1. 2023/07/25(火) 15:26:49|
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