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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ558

森田予備2曹が第3高射群の展開地を破壊するために侵入を図った工作員を射殺した現場の次は航空自衛隊の稚内分屯基地に向かった。私が航空教育隊で勤務していた時、警戒管制員になった教え子の曹候学生が稚内分屯基地に配属されたが真冬になると自宅に「班長、寒いっすよ。今零下30度っす。海は流氷で真っ白っす」と電話をかけてきた。その後、温かい防府の冬の空曹候補者課程を満喫して3曹になって帰っていったが、アイヌの女性と結婚したため職種を変更することになり、全く毛色が違う第3術科学校に入校した。そんな5歳年下の教え子も嫁さんの希望で北海道のレーダー・サイト巡りをして定年退官している。今は千歳在住のはずだ。
「何人が犠牲になったんですか」「準戦時体制を敷いていましたからオペレーションにいた監視小隊長とオペレーター2名、整備員1名の4名です。全員、ミサイルの爆発によって即死していました」「・・・それは良かった」稚内分屯基地では第18警戒隊長の2佐がロシア軍の弾道ミサイルによって破壊されたレーダー・オペレーション跡を案内してくれた。このオペーレーションは鉄筋コンクリートの建物が崩落したため中にいた隊員の安危確認と遺骸の収容には人手と時間を要し、さらにロシア軍が航空機による攻撃と輸送ヘリコプターの飛来、不審な漁船の接近と日本人の工作員の潜入を繰り返したので警備の強化を維持せざるを得ず、当時の隊長自ら遺族の承諾を受けて放置していた。遺骸の収容は北部航空方面隊の防空体制が整備されてロシア軍の航空攻撃が沙汰止みになってから着手して手作業で取り除いた瓦礫の下から4体を発見した。ところが常温で長期間放置していたため腐敗が進んでいて千歳基地から来た航空警務隊の検屍を受けた後、基地の訓練場に廃材を積み上げて荼毘に付したそうだ。骨壺は市内の葬儀屋の店に残っていた物を譲り受けたが木材の火力では燃焼温度が低く、遺骨が原形を留めてしまって納まり切らず子供用の小さな棺に入れて遺族の元へ送ったらしい。
「その服装は我が社の昔の作業服じゃあないですか。懐かしいな」「ワシは第7期一般空曹候補学生として入隊したからね。形見の品だよ」案の定、警戒隊長は私の作業服に気づいて話を振ってきた。警務隊のパジェロで入門した時には後席の中央に坐っていたので歩哨は手前の梢に気を取られて私の服装には気づかなかった。それでも本部隊舎の廊下で会ったベテラン隊員たちは揃って懐かしそうな視線を浴びせてきた。航空自衛隊の訓練は体育が中心のためジャージ姿になり、作業服は仕事着と言う感覚だった。陸上自衛隊のように乙武装での警衛勤務や基本教練の晴れ姿を目にする機会は少ないので特別な思い入れはないものの記憶には残っているようだ。
私は陸上自衛隊の昔のかえって目立つ迷彩服を定年退役後にオランダで着たことがある。すると海外の軍事常識ではかえって目立つ迷彩服はあり得ないので奇抜なファッションだと思われてしまった。考えてみればOD色の陸上自衛隊の戦闘服も持っているはずだが見たことはない。
「かなり人数が多いですね」「収容したのは332体でしたが医官の目視だけでは身元が特定できませんから手だけ足だけも1人として埋葬しました」火葬場で慰霊の読経を終え、分屯基地の食堂で久しぶりに航空自衛隊の食事を口にすると稚内市の郊外にあるロシア軍将兵の埋葬地に向かった。ここでも旭川市の埋葬地と同じく木の柱の墓標が1体ごとに立ててあるがヘルメットは被らせてない。ここの遺骸は海岸で収容したので重いヘルメットは海中で脱げてしまい供えることができなったのかも知れない。ヘルメットは停戦後に遺骸の身元を特定する上で重要な資料だが戦争法は海底を捜索してまで回収する責任は課していない。こちらには森田予備2曹も携帯式地対空ミサイルを発射した状況を現地で説明するために同行している。森田予備2曹は食堂で見つけた航空自衛隊の隊員たちに囲まれて談笑していて中々の人望があるようだった。ただし、理由は判らない。
「ワシも1971年7月30日の雫石、1985年8月12日の御巣鷹山の非公開の写真資料を見たことがあるが、警務隊で確認した現場画像では遺骸が人体の形状を保っていたようだね」「はい、撃墜されたのが低空だった上、ミサイルの命中で機体が空中分解に近い状態になって乗員たちは空中に投げ出されたようです。遺骸の損壊は爆発ではなく海中でトドや鯱(しゃち)、鮫に喰い千切られたものと推察しています」「実際、海岸で遺骸を回収していた隊員がトドや鯱に襲われそうになったことがあります」埋葬地での慰霊供養が終わると質疑応答になった。私の質問には警務隊長と警戒隊長が答えた。森田予備2曹にとっては後で担当する自分の殺害行為の具体的な説明になるが進んで口にする気分ではないはずだ。
「埋葬方法は土葬だね」「はい」「太平洋戦線のアメリカ軍はブルドーザーで幅広の溝を掘って日本兵の遺骸を並べてからブルドーザーで土を掛けたそうだが」「ウチは一体に一つ穴を掘りました」「認識票は口に咥えさせたね」「はい、首がある遺骸と認識票が回収できた遺骸に限りますが・・・左腕だけの遺骸も腕時計をしていればそのまま埋葬しました」「それは良い」私の賛辞に警戒隊長は安堵したようにうなずいた。アメリカには2つしかない戦没者墓苑ではバージニア州のアーリントン墓苑に30万と1基、ハワイのパンチボール墓苑は4万基以上の墓碑がある。この332基の戦没者墓苑の遺骸を母国・ロシアへ送り返す日まで警戒隊長は墓守を兼務することになる。
  1. 2023/07/26(水) 14:14:29|
  2. 夜の連続小説9
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