翌日は警務車両で隣村の鬼志別演習場に展開している航空自衛隊の第1移動警戒隊に寄った後、ロシア軍の攻撃ヘリコプターの空襲を受けた遠軽演習場の第3地対艦ミサイル連隊の展開地を現地確認してから遠軽駐屯地に向かい第25普通科連隊の関係者に戦況の説明を受けることになっている。入間基地から中部航空方面隊司令部支援飛行隊のUー4で一緒に来た陸上総隊幕僚長さま御一行は旭川駐屯地に移動して報告を受けた後、第2師団長と一緒に第2飛行隊のUHー1ヘリコプターで視察に向かったらしい。そう言えば警務隊で資料を読んでいた時、離陸するヘリコプターのエンジンを聞いた。やはり陸上総隊幕僚長ともなると業務多忙で陸路でドライブしている訳にはいないようだ。
「おはようございます」「今後も警備で頑張ってくれ」朝食を終えて稚内分屯基地のゲートを出ると昨夜の歩哨が見送った。警衛隊の交代は国旗掲揚後のはずなのであと少しの勤務だ。北海道では戦闘は終息しても道知事からの避難命令が解除されていないため隊員の家族は官舎に戻っておらず基地内待機が継続されている。そのため登庁・出勤はない。
「昨日、あの子が唄っていた警備の歌、知ってた」「ダンチョネ節か、あれは勝手な歌詞をつけて唄うから千差万別の歌があるんだよ」ゲートを過ぎて短い坂道を下り、生活臭が消えている海岸通りを右折すると梢が小声で訊いてきた。昨夜、ゲートを開けに来た歩哨は海鳴りを伴奏にするように低くダンチョネ節を口ずさんだ。
「俺が死んだら 三途の川で 鬼と一緒によ 警備するダンチョネ」ダンチョネ節は大正から昭和に流行した神奈川県三浦半島の民謡とされる歌で、ダンチョネは「断腸の想いでね」とする説がある。軍隊でも様々な替え歌が作られたがこちらは「師・旅団長さんもね」を意味すると改められた。私も那覇基地でパイロットから「沖の鴎と 戦闘機乗りは どこで果てるやら 判りゃあせぬダンチョネ」と習ったことがある。もしかすると森田定年2佐が考えて第3術学校の警備課程で教えたのかも知れない。
「ここのランチャーが破壊されたんだね」「はい、幸い本体は壕の中に収納していましたから誘爆は回避できました」遠軽演習場では第3地対艦ミサイル連隊3科の1尉の幕僚が案内してくれた。第3地対艦ミサイル連隊の実戦配備は遠軽駐屯地での待機に移行しているので詳しくは後で説明を受ける予定だ。昨日、森田予備2曹が第18警戒隊長に質問していたが同じ様に誘導ミサイルが爆発しても、壕に埋設していた陸上自衛隊では損害が局限されたのに対して航空自衛隊は車載していた予備弾まで次々に誘爆して展開地そのものが壊滅してしまった。その原因が警戒隊長が答えた高射部隊の体質だとすれば航空自衛隊の金看板である「実戦性の追求」は空を飛ぶ、飛ばすこと限定になる。
確かに航空部隊では戦闘以前に飛べばパイロットの生命に関わり、飛ばす業務は「安全」と言う一切の妥協が許されない実戦の追求だった。その点がアメリカでの年次射撃以外に実弾を発射する機会がない高射部隊とは違う。考えてみればナイキやペトリオットの地対空ミサイルはアメリカだけでなくヨーロッパでも陸軍が運用している。昭和62年12月9日にソビエト連邦軍のツボレフ16偵察機に沖縄本島上空を領土侵犯されて航空自衛隊の要撃機が警告射撃した時、真上を通過したため警戒管制レーダーが追尾できなくなっても勝連駐屯地の第6高射特科群のホーク用レーダーだけは捕捉していた。現用の地対空ミサイル・PAC2、PAC3も陸上自衛隊に使わせた方が実戦の役に立ちそうだ。
「それで戦死者はどこに埋葬したんだ」「幸いロシア軍の攻撃は一度だけでしたから可能な限り収容して部隊葬を実施した後、車両で富良野に送りました。今は遺族の元へ帰っているはずです」「撃墜したロシア軍ヘリの搭乗員は」「あれは25i(25インファントリー・レジメント=第25普通科連隊)が海上で撃墜したので機体と乗員は海の底です。回収できていません。それよりも・・・」私がロシア軍の戦死者の慰霊行事を実施したのかを確認する前に1尉の幕僚が険しい顔で1つ息を飲んで言葉を継いだ。
「実は空襲が終わった後、ロシア軍の大型フェリーが網走港に接岸したとの情報を得て、発射可能なミサイルを連射したんです。その結果、3隻撃沈したんですが、おそらく主力部隊の千数百名が水死しました。こちらの慰霊はどうすれば良いのでしょうか」やはり網走市付近では夜になると海鳴りの呻き声が響き、人魂が乱舞しているのだろう。
- 2023/07/29(土) 13:00:35|
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