「意外に破壊されてないんだね」「はい、25i(インファントリー・レジメント=第25普通科連隊)は千歳の航空自衛隊の防空態勢が再建されてからは補給物資が届かなくなったことを見越して包囲による兵糧攻めに徹していましたから潜入させた隊員の銃撃以外に戦闘は発生していません」遠軽駐屯地に宿泊した翌日は網走市内の現地確認になった。今回は昨日の状況説明で私に冷水を浴びせられた3科長の部下の運用訓練幕僚が案内役だった。ウクライナで「何か憎悪する理由があるのか」「占領した後、再利用するつもりはないのか」と思案してしまうほど徹底的なロシア軍の破壊の惨状を現地で見ている私としては無人の住宅地や中心街の建物が無傷で残っていることが信じられなかった。
「ロシア軍としては網走市には空自のレーダー部隊以外に敵はなく戦車を要点に配置して歩兵を展開すれば占領は容易だと考えていたようです。空自のレーダー部隊は事前に撤退する。残っていても戦車で攻撃すれば簡単に制圧できる。それでも駄目なら兵糧攻めにするつもりだったのでしょう」「その上陸部隊の大半を地対艦ミサイルで撃沈されてしまって作戦は頓挫、立場が逆転してしまったと言う訳だ」私の答えを聞いて運用訓練幕僚と警務隊長は苦笑と嘲笑を混ぜ合わせた顔でうなずいた。ところが隣で梢が難しい顔で思案し始めた。私が小声で理由を訊くと意外な答えが返ってきた。
「沖縄の学校の授業では郷土史の後に本土の歴史を教えるから猛スピードなの。だから兵糧攻めって聞いたことがなくって・・・意味は理解できるけどイメージが湧かないの」思いがけない沖縄の学校教育の欠陥を聞かされて3人で顔を見合わせてしまった。沖縄県でもトップ・クラスの進学校を卒業した梢がこれでは美恵子は知識の欠片も持っていなかったはずだ。ただし、美恵子には理容とファッション以外の学究意欲が欠落していたので疑問を抱くこともなかっただろう。それでも死者を鞭打つことは控えることにする。
「日本史で兵糧攻めと言えば羽柴秀吉だが三木城の干し殺し、鳥取城の餓え殺しは悲惨だったよ。秀吉の場合は竹中半兵衛、黒田官兵衛と言う名軍師がついていたから事前準備も完璧で城攻めを始める前に周囲の農民から高値で米を買い占めて兵糧米が手に入らないようにしていた。おまけに籠城が始まると周囲で宴会を催して城兵の不満を煽った。どちらの城でも軍馬を殺して食べ、戦死者の肉を食べ、雑草は勿論、城壁の土まで食べるようになって、やがては餓死すれば群がって肉を口にするようになったそうだ」この2つの兵糧攻めと備中・高松城の水攻めは秀吉側から見れば勝利の歴史だが毛利側からは残酷な悲劇以外の何物でもない。そのため防府時代には何度も資料を読む機会があった。中でも三木城には佳織と兵庫県の伊丹の実家に帰省した時に城址を見学に行っている。一方、梢とは沖縄で今帰仁城址や中城城址、浦添城址、玉城城址などの城址巡りをしているが教育委員会や観光協会が設置している説明の看板には攻城戦に関する史実は書いてなかった。
「この家では庭で鹿や熊を捌いた跡があり、浴室内に食肉加工したロシア兵の遺骸が2体残っていました」ロシア軍の上陸予定部隊は地対艦ミサイルが命中した大型フェリーが沈没する前に生き残った兵士たちは海岸に泳ぎ着いたが、積んでいた戦闘車両と大小の武器、燃料に弾薬だけでなく食料を始め被服や医薬品の大半は海に沈んでしまった。そのため食料を探して押し入った住宅でも居心地が良さそうな家に居座るようになっていた。第25普通科連隊の運用訓練幕僚はその中の一軒でおぞましい事実を説明した。水道が使えないため遺骸を収容した後の清掃が不十分なのか床のタイルの目地には血と思われる茶色い染みが残っている。排水溝の金具には茶色い髪の毛が引っ掛かっていた。
「警務の報告文書には自衛隊に射殺された遺骸を運び込んで解体したとあるがロシア軍が食べるために殺害した形跡はなかったのか」「死因が特定できていないので根拠はありませんがそれは考えたくありません」私の冷淡な質問に運用訓練幕僚は表情を凍りつかせて答えた。第25普通科連隊としては補給が遮断されて包囲されれば無駄な抵抗を止めて降伏すると考えていたようだが、皇帝に絶対的忠義を尽くす伝統を継承しているロシア軍は太平洋戦線の日本軍守備隊と同じく座して死を待つ選択をした。ただし、日本軍のように飢えて痩せさらばらえた身体で武器を持って戦う鬼気迫る士気までは発揮しなかったので多くは江団別の捕虜収容所で安穏な生活を送っているのを確認してきた。
- 2023/07/31(月) 14:31:26|
- 夜の連続小説9
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