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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ564

一日がかりで網走市内の現地確認を終えると私と梢は警務車両で美幌駐屯地に移動して一泊、迎えに来る第121地区警務隊の案内で道東の第5旅団の戦闘現場を回ることになっている。本当は稚内の3倍を超える人数の網走沖の戦死者の亡霊の声を聞いてみたかったのだが、最初に寄った航空自衛隊のレーダーサイトの警備の隊員は「戦場なんてこんなものでしょう」と特に気にしていなかったので諦めた。
航空自衛隊の基地は戦前から帝国陸海軍の飛行場だったので戦時中には空襲を受けて多くの将兵が戦死している。中には若い特攻隊員たちが出撃していった神風特別攻撃隊の基地もある。特に那覇基地=小禄飛行場は沖縄戦でアメリカ軍が上陸した海軍陸戦隊との激戦の舞台で雑木林の木を切ると幹は紅く、血のような樹液が滴り落ちる。
そのため航空自衛隊では「年間十人以上がノルマ」と言われていたパイロットの殉職も加わって「機体が浮けば次は下りるか落ちるかだ」と言われるくらい「死」は日常で、幽霊は夜間の警備につけば話し相手になる同僚のような存在なのだ。
「昨日のブリーフィングでも君のところの1科長に言いかけたんだが・・・」「ブリーフィング・・・ミーティングのことですか」出発前に今日の現地確認に同行して懇切丁寧に説明してくれた運用訓練幕僚に感謝のついでに助言を伝えることにした。ところがレーダーサイトに寄ったためか航空自衛隊用語が出てしまい入り口でつまずいてしまった。
ブリーフィングはアメリカ空軍伝来のパイロットが飛行前に必要な情報を確認する簡単な打ち合わせでミーティングほど重々しくはない。それでも航空自衛隊では毎朝の小会議もデイリー・ブリーフィング=デフレと呼んでいるから大差はないのかも知れない。
「北方(北部方面隊)が2師団からマスコミに取材させると言ってきた以上、応じざるを得ないんだろうが絶対に好き勝手に取材させては駄目だ。奴らはスパイだと思って常に監視下に置け。1科長的には積極的に協力すれば好意的な記事を書いてくれると考えるかも知れないがそれは平時の感覚だ。ワシはヨーロッパで日本のマスコミ支局が政府の意図を歪曲した解説で事実とは真逆の報道に誘導しているのを見続けてきた。加倍首相が政権復帰した時には前回の体調不良による退陣を責任放棄と非難し直して今回も短命で終わると断定していた。ところが民政党に対する国民の批判が想像以上だと判ると今度はA級戦犯の孫の軍国主義者のレッテルを貼り直した。特にドイツでは『日本は第2次世界大戦における戦争犯罪を放棄した』と言う批判キャンペーンを展開して対日警戒感を蔓延させたんだ。だから加倍政権が安保関連法を成立させた上でアフリカの紛争に自衛隊を派遣すると本格的軍事介入と書き立てていた」熱弁を奮ってしまったがオランダで読んでいた英字新聞や見ていた英語ニュースでもイギリス制作のものは比較的正確な報道内容だったが、オランダの編集部の記事やニュースには何故か日本のマスコミの支局の解説が加えられて悪意に基づく歪曲による誤報状態になっていた。
「そんな連中がロシア兵は人肉を食べたと知ればどう報じると思う。おそらく自衛隊が日本の陸海軍と同様に捕虜を蔑視して投降を認めなかった。非人道的な飢餓戦術で武器を使わずに全滅させようとした。その結果、戦友の遺骸を食べなければならないところまで追い込んだと決めつけるんだろう」「確かに自分も東北の震災の時に救援活動を妨害しているとしか思えない報道には苦々しい思いしていました。先ずは弾道ミサイルで稚内のレーダーが破壊されてその直後にヘリの大群が襲来したから迎撃した。そして主力部隊の大型フェリーが着岸したから撃沈した」「そうしなければ網走はウクライナのような廃墟になっていた。何かあれば『ウクライナのようになっていた』を馬鹿の一つ覚えにすることだな。問題は1科長にそこまでの危機感があるかだが」私は陸上自衛隊に転換して以来、自衛隊の常識を司る1科の総務と人事を担当する幹部には嫌われ続けてきた。初対面で人間性を知っている訳ではないが昨日の1科長の「2師団経由の北部方面隊の命令には逆らえない」と言う態度には「所詮は」と失望していた。
「1科長も戦闘に向かわせる隊員の人選で連日苦悩して来ましたから大丈夫です。モリヤ2佐のご助言は自分から間違いなく伝えます」運用訓練幕僚の返事を聞いて私は胸の中で1科長への誤解を詫びた。最後も航空自衛隊式に握手をして別れた。
  1. 2023/08/01(火) 15:06:00|
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