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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

8月4日・ビアホールの日

今年の猛夏をエアコンが付けられない古民家で「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」ながら生活していると寝る前に飲むオリオンビールが生命の活性剤であることを実感します(同居人に暖房を使わせてもらえなかった青森の冬とどちらが辛いのか悩みつつ)。そんな8月4日は明治32(1899)年に東京府京橋=現在の東京都千代田区銀座で日本麦酒醸造会社=サッポロビールが「恵比寿ビアホール」を開業したためこの店を継承している銀座ライオンが「ビアホールの日」を制定しました。なお、恵比寿ビアホールでは戦前は500ccのジョッキ1杯が10銭で飲める記念行事が催されていたそうです。
ただし、日本で最初の「氷室生ビール=キンキンに冷えた生ビール」と洋食を出す本格的なビアガーデンは明治30(1897)年7月20日に大阪麦酒株式会社=アサヒビールが大阪市北区中之島で開業した「アサヒ軒」ですが、当時は商都・大阪が「日本初」を飾っても首都・東京が認知しないと歴史に刻まれない悪しき慣習が横行していたので「ビアホール」と言う名称を使った記念日と言うことになっています。
なお、現在はデパートやホテルの屋上で営業することが多い屋外のビアガーデンは明治8(1875)年に横浜市山手でノルウェー系アメリカ人のウィリアム・コープランドさんが経営していたスプリング・バレー・ブルワリー=麒麟ビールの製造工場に隣接する自宅の庭を改装して開業したのが最初でしたが、主に在留外国人と船員を相手にしていたので日本人への普及は大阪のアサヒビールや東京のサッポロビールの成功を待たなければなりませんでした。
野僧は大学時代、何かをやっていて遅くなると同級生たちに連れられて豊橋駅前のデパートの屋上のビアガーデンに行ったのが初体験でした。その時は貧乏学生だったのでツマミは大皿に盛った枝豆だけでビールをガブ飲みしました。ステージの上では平日だったこともあり、ギターを弾きながらリクエストされた歌を唄う流しの兄さん1人だけでしたが、土曜日の夜は素人バンドと女性歌手のコンサートが行われるそうでした。続く沖縄ではビルの屋上ではなく公園やホテルの庭に開設されることが多く、祭りのように屋台が並んでしました。ビールは勿論、「最も新鮮、オリオンビール」でした。その後、奈良基地の幹部候補生学校に入校するとWAFの同期と大阪に出かけて夜には日本における本場のビアガーデンを満喫しましたが(アサヒ軒ではなかった)、洋食だけでなくたこ焼きやお好み焼きも提供されていてステージ上ではバンドや歌手の合間に漫才が上演されていたのが関西的でした。
そして目黒基地の幹部学校では前年に開業したサッポロビールの本社ビルでもある目黒ガーデンプレイスが近かったため宴会の会場になったので個人的な東西対決を楽しみました。ただし、目黒ガーデンプレイスは都心部にあるため客層がやや上流のようで「庶民が気楽に」と言う雰囲気ではなく、ツマミと言うよりも料理は洋の東西を問わず高級品で真夏でもネクタイなしでは入りにくいため野僧は作務衣の下に襦袢を着て行く羽目になりました(地下鉄サリン事件の直後だったので剃った頭に私服では職務質問を受けた)。
  1. 2023/08/03(木) 14:26:50|
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