「遅くなってすみません。私が海岸線で海に砲を向けている戦車を見たいなんて言ったものですから」「いいえ、ウチの飯は別海駐屯地からの運搬食ですから到着した時から喫食開始なんですわ」中標津町から標津港に回り、都市部の環境団体が自衛隊の展開を妨害した知床半島の現場を確認して航空自衛隊第2移動警戒隊の展開地に到着した時には予定時間を大幅に過ぎていた。展開地では警戒隊長と会食することになっていたので「お預け」させてしまったことになる。それでも航空自衛隊は部隊機能を維持するための交代喫食が一般的なので陸上自衛隊のように全隊員が「お預け」することはないはずだ。
「現在のロシア軍の動向はいかがですか」「・・・モリヤ検事はOBとは言え現在は部外者ですから・・・」「流石、秘密保全の口述試験は稚内、網走に続き合格ですな。ねッ、警務隊長」OD色の行事用天幕の食堂で冷めた飯の会食が始まると私は興味本位に不用意な質問をしてしまった。すると警戒隊長は申し訳なさそうな顔で回答を拒否した。確かに航空自衛隊でも担当者には特定防衛秘密取扱者審査を必要とする防空行動に関する情報を雑談で漏らすことはできない。それでも警戒隊長が非礼を詫びるような顔をしているので私は助け船として虚構を弄した。自然にうなずいた警務隊長は中々の役者だ。
「POM3は除去できそうですか」「我々も不勉強でして・・・2次被害を出さないことを最優先に作業を進めていますから能率が上がりません」その日は別海駐屯地に宿泊なので午後はロシア軍がヘリコプターで散布した対人地雷POM3の除去作業を見学した。地雷除去は施設科が専門なので帯広駐屯地の第5施設隊が実施しているが、作業指揮官の施設幹部の1尉はPOM3がオタワ条約の発効まで自衛隊が保有していた対人地雷とは構造や作動方式が全く違うので悪戦苦闘していることを正直に申告した。信管を踏むか、展張しているワイヤーを引っ掛けることで作動する今までの対人地雷であれば地面を這いながら金属棒(銃剣で代用することも多い)で地面を刺し、手探りで探せば発見は可能だがPOM3は本体と人間が歩く振動を検知するセンサーが分離する上、小型なため発見は極めて困難だ。さらに突き出した竿の先に広げて取り付けた金属製の鎖で地面を擦って信管を作動させる自走式地雷排除装置や低空で弾頭から引いた炸薬を爆発させて風圧で作動させ、誘爆させる地雷排除ロケットも効果は低い。
「モリヤ2佐はICC(国際刑事裁判所)時代にウクライナに行ったことはありますか」「勿論、あちらでPOM3の現物を見たよ」指揮官は足元に置いてある金属製の防爆容器の蓋を開けて回収したPOM3の本体を見せながら質問してきた。この容器はセンサーの作動信号電波も遮断するので収納しておけば安全だ。
「あちらはウクライナ軍とEUのボランティアが除去作業を実施していると思いますが、どんなやり方ですか。事故は起きていませんか」やはり施設幹部としても予備知識が乏しい中で作業を指揮することには不安があるらしくすがるような目で質問してきた。
「ウクライナ軍も当初は通常の対人地雷と同じやり方で除去しようとしたが、発見し切れないで残っていたPOM3で家に戻った住民が死傷する事故が続発した。特にボランティアは地面の作業は危険だからと鎖で地面を擦る機材だけで作業のやり直しを余儀なくされた。おかげで2次被害が続出して危険でも確実な荒業を採用したよ。ブルドーザーで上を削ってしまうんだ」私も作業現場を見た訳ではないが廃墟と化していた市街地をブルドーザーで整地している場面をオランダのニュースで見たことがある。
「それからNATO軍がPOM3の作動信号電波の発信装置を開発して実験を始めているようだ。ところがロシア軍は通常の対人地雷をブービートラップにして併用し始めたから手に負えん」私の説明に指揮官は沈痛な顔で口を「へ」の字に曲げた。
「最近、道庁が住民の帰宅開始時期を問い合わせてくるようになりまして今回のマスコミの取材は下見なのかも知れません。ハッキリは言いませんが来年の春の農事の開始までの作業完了を期待しているようです」「しかし、国後島のロシア軍が壊滅した訳ではないだろう」「いっそのこと北方領土を奪還してしまいますか」作業指揮官は目の前に見える国後島の島影を仰ぎながら危ない願望を口にした。1尉クラスでは北部方面総監が秘かに研究している北方領土奪還作戦を知るはずがない。これは北海道民としての真情なのだ。
- 2023/08/06(日) 14:54:05|
- 夜の連続小説9
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