現代の日本では「長崎のカソリック教徒がカミの罰である原子爆弾を我が身に受けて殉教した日」と思われている昭和20年8月9日に北部太平洋を我が物顔に勇躍して北海道や東北各地に空襲と艦砲射撃を繰り返していたアメリカ・イギリス海軍の機動艦隊が青森県下北半島の大湊警備府(海軍工廠=造船所を持たない軍港)を空襲して機雷敷設艦・常盤と駆逐艦・柳を大破させ、その攻撃機を収容しながら東北沖を南下して岩手県釜石市に艦砲射撃と空襲を加えました。日本製鉄釜石製鉄所を有する釜石市への艦砲射撃と空襲は431名の死者を出した7月14日に続き2度目でした。
7月14日の攻撃を実施した34.8.1艦隊はアメリカ陸軍航空軍が運用する最新鋭爆撃機・Bー29の9000キロの航続距離でもマリアナ諸島の基地から東北・北海道の空襲では燃料に不安があり、爆弾の搭載量を制限せざるを得ないため、その攻撃力を補完するためにアメリカ海軍第38任務部隊(太平洋方面の主力艦隊)の一部を分離して編成していて8月9日には南太平洋方面の日本艦隊が壊滅して手が空いたイギリス海軍の艦艇を合流させて戦力を強化していました。
実は同じ海軍による攻撃でも艦砲射撃と艦載機による空襲では大きな違いがあり、艦艇が実施する艦砲射撃には海戦法の人道主義に基づく制限規定が適用されて洋上で民間の船舶を攻撃するまでには呆れるほどの確認手順を踏まなければならないように艦砲射撃でも攻撃目標を破壊する軍事的必然性が確保されなければなりません。一方、艦載機による空襲では空戦法が存在しないため攻撃手段に制限はなく、第1次世界大戦で航空機の絶大な攻撃力と将来性を認識して空軍を独立させたヨーロッパ列強のように独立した軍種になるためには陸軍、海軍、海兵隊以上の戦果として日本人を殺害する必要があったアメリカ陸軍航空軍と同様に日本軍の部隊や軍事施設の有無に関係なく無差別攻撃を繰り返し、農村や漁村でも戦闘機を低高度で飛行させて児童・生徒や田畑の農婦、沖で漁に励む漁師などに機銃掃射を浴びせて殺害しました。アメリカ陸軍航空軍の戦闘機が日本本土まで飛行可能になったのは硫黄島が陥落した1945年3月末以降なのでそれまでの戦闘機による無差別攻撃は海軍の仕業です。
8月9日の艦砲射撃では7月14日の攻撃を経験した市民の多くは「敵艦隊接近」の警報で市街地に迫る山林に避難しましたが、背後の山への艦砲射撃で火災が発生したため逆に市内の空き地に逃げ出したところに今度は市街地に対する集中砲火を浴びせられ、さらに艦載機が空襲と機銃掃射を加えて283名を殺害しました。釜石市には市街地に接する薬師山に陸軍の高射砲部隊がありましたが、艦砲射撃で破壊されてしまい続く艦載機の空襲には役に立ちませんでした。
また釜石市内には大橋町に仙台俘虜(明治政府が戦争法を批准した時、語訳として採用した=捕虜)収容所第4分所、港町に第5分所があり、オランダ、アメリカ、イギリス、カナダ人の捕虜が収監されていましたが、この2回の攻撃で32名が死亡しています。なお1週間後の敗戦時には746人が収監されていました。
- 2023/08/08(火) 14:22:23|
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