8月7日に1971年公開の「フレンチ・コネクション」や1973年の「エクソシスト」などのそれまでのハリウッド映画とは異なる作風の傑作を製作したウィリアム・フリードキン監督が亡くなったそうです。87歳でした。
フリードキン監督は1935年にイリノイ州シカゴで帝政ロシアによるユダヤ人迫害が波及していたウクライナから移住した家族の子供として生まれました。地元の高校に入学すると183センチと標準的身長ながらバスケットボールの花形選手になりましたが父親が病没したため大学進学を断念してテレビ局にメッセンジャーボーイ=使い走り(?)として就職し、やがて番組制作に加わりアシスタント・ディレクターを勤めるようになりました。
1960年代に入ると次々にドキュメンタリーの監督作品を発表し、評価が固まった1965年にハリウッドに移り、劇場用映画を手掛けるようになったのです。
中でも1971年公開の「フレンチ・コネクション」はその年のアカデミー賞で作品賞、監督賞を含む5部門で賞を獲得しましたが、野僧は14年後にアラスカ人の彼女の家で父が嘉手納基地のレンタルビデオ店で借りてきたビデオの家族上映会で見ました。
「フレンチ・コネクション」は1961年にニューヨーク市警の薬物担当の刑事2人がトルコからフランス経由で密輸された40キロのコカインを摘発した実話を基にした作品で刑事本人が出演していました。ニューヨークの裏社会で暗躍するマフィアと刑事の死闘を描いた物語の主軸ですが、他のハリウッドのギャング映画のように妖艶な美女をはべらしていたボスが最期はマシンガンで蜂の巣にされるのではなく、我が身に危険が迫っていることを察知しながらも捜査を続ける刑事と追い詰められて焦り、墓穴を掘る大物マフィアの姿をリアルに描いた作品でした。
一方、「エクソシスト」の日本での公開は中学1年の夏休みでしたが、その頃は寺の小坊主だったため同級生に誘われて見に行くと師僧=祖父に内容を説明して佛教式の除霊方法を習いました。題名の「エクソシスト」は実在するカソリックの心霊現象に対処する専門職で映画でも2人の神父が悪霊に憑依された少女の除霊に当たりますが、ベテランの神父が除霊中に心臓発作で急逝したため残った未熟な神父が勝ち誇る悪霊を自分に憑依させて窓から飛び降りて死ぬことで一緒に滅亡すると言う結末でした。
確かに佛教式の除霊でも僧侶としての「徳」を積み(除霊の数日前から肉食・飲酒を避け、朝夕の勤経を念入りにして前後には念佛を唱え続けるなど)、感性を研ぎ澄ませていなければ法力は発揮できず、かえって身を危うくすることになります。
しかし、残念ながらこの2作以降は過激な表現から日本で言う映倫(自主規制組織)の審査で年齢指定を受けることになって興行的には失敗してしまいました。
フリードキン監督は「仁義なき戦い」や「復讐するは我にあり」などの大ファンなので、影響を受けた作品を制作するようになり、実際は日本よりもエロ規制が厳格なアメリカやイギリスの映倫の審査が通らなくなったのかも知れません。彼女に郷土が舞台の芸術作品として「人生劇場」を見せたところ濃密な性交シーンの連続に「これはポルノか」と激怒しました。法縁に感謝しつつ冥福を祈りします。
- 2023/08/11(金) 15:28:34|
- 追悼・告別・永訣文
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