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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

8月14日・満州ユダヤ人の救済者・安江仙弘大佐が抑留死した。

昭和25(1950)年の明日8月14日に帝国陸軍ではユダヤ問題の第1人者と目され、帝政ロシアやソビエト連邦のユダヤ人迫害を逃れて満州に移住していたユダヤ人の保護に尽力し、イスラエルにある黄金製の記念碑「ゴールデン・ブック」の5番目に名が刻まれている安江仙弘(のりひろ)大佐が敗戦後に戦犯でも捕虜でもなくただ延々と抑留されていたハバロフスク収容所で病死しました。62歳でした。
安江大佐は明治21(1888)年に旧松本藩士で日清戦争後には台湾総督府官吏になる父親が秋田市に赴任中に生まれました。生まれた建物は日本版ナチズムの狂気・国家神道を創始した平田篤胤(敬称不要)の生家でした。東京府文京区の旧制・京華中学校に入学した後に陸軍中央幼年学校を経て明治40(1907)年に陸軍士官学校21期生として入校しました。同期には敗戦時の北方軍司令官として停戦後のソビエト連邦軍の侵攻を千島と樺太で阻止した名将・樋口季一郎中将(ゴールデン・ブックの4番目)や「天才」と冠されることが多い石原莞爾中将、総力戦研究所長として創設者の東条英機陸軍大臣が見学している前で実施した総力戦机上演習で日本の敗戦を予言した飯沼穣中将などがいます。
明治42(1909)年に卒業してからは歩兵将校として平時の軍隊生活を送りますが、1917年に発生したロシア革命によって共産主義革命の拡大を危惧する日本政府が実施したシベリア出兵に参加したことで人生が変わりました。シベリアで反革命軍と接触する中で「シオン賢者の議定書」と言うユダヤ人による世界制覇を説いているとされる古文書の存在を知り、研究を進める間に「帝政ロシアが崩壊した原因はユダヤ人の暗躍にある」と確認して帰国後に出版した「世界革命之裏面」に翻訳した全文を掲載したのです。この著書の出版によって安江少佐は陸軍からユダヤ研究を命ぜられ、翻訳を担当した酒井勝軍さんと共同で研究に着手しました。当初、安江少佐はユダヤ人を生まれ育った国家や地域に愛着や忠誠心を抱くことがない裏切りの民族として嫌悪していましたが、酒井さんとパレスチナやエジプトからヨーロッパのユダヤ人社会を視察したことで「観念的ユダヤ人理解では駄目だ」と自分の学説を否定し始め、むしろ祖国を失いながら民族としての精神性を保ち続けている態度に共鳴して親ユダヤに転換しました。
帰国後は「ユダヤ資本を満州の開発に投入したい」と言う陸軍中央の意向を受けて同期で駐在武官として赴任したポーランドでユダヤ人社会を熟知している樋口少将が機関長を勤めていたハルビンの特務機関に派遣されて在満州のユダヤ人組織と協調関係を築き、ナチス・ドイツとソビエト連邦による迫害からシベリア鉄道で逃れてきた2万人以上のユダヤ人を上海に送り届け、満州国のユダヤ人政策の骨幹を策定しました。
ところが運悪く陸軍中央では日独伊三国同盟に邁進する空気が充満してナチス・ドイツのユダヤ人排除政策に同調する者が多数派になったため陸軍大学校を卒業していない安江大佐も予備役に編入されて南満州鉄道に転職しましたが、在満州のユダヤ人組織との協力関係は維持していたようです。敗戦時には国民党軍との和平工作を命ぜられて交渉の準備を整えましたが大連でソビエト連邦軍に逮捕・連行されました。
  1. 2023/08/13(日) 14:38:55|
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