「ターゲット1(第1目標)は消失・・・2、3、4も同じ。戦車とは別に大量の弾薬を搭載していたようです。1発で大爆発しました」機体中央のコンソール(監視装置)でハープーンの航跡を注視している航空士の下士官は命中と同時に画面から艦影が消失した状況に推察を加えて報告した。最新の空対艦型ハープーンの射程距離は318キロとされているので仮に大爆発しても肉眼や望遠鏡では火炎や黒煙は視認できない。
ハープーンはフォークランド紛争でイギリス海軍の駆逐艦・シェフィールドに命中して炎上、沈没させたニュース映像が宣伝になり、注文が殺到したフランスのエグゾゼと比較されることが多いが射程距離、威力は勝負にならず最新のエグゾゼでも射程距離は180キロに過ぎない。またシェフィールドの沈没はたまたま発電装置が損傷したため消火装置が機能しなくなった結果であり、威力不足は世界の軍では常識なのだ。
「ターゲット5と6は停止しましたがエマージェンシー・シンボルを表示しています。大破、炎上したのかも知れません」志緒はロシア軍の艦隊空ミサイルの誘導レーダーに対する妨害電波を発信しながら射程距離から外れた位置まで退避すると安定飛行に移り、航空士に詳細な状況を確認させた。
「駆逐艦4隻は接近しません。続く爆発をおそれているのでしょう」「貴方の推理は別の雑談で楽しみなさい。正確な事実だけを報告しなさい」「アイアイ・マーム」航空士が再び報告に推理を交えたため志緒は注意を与えた。優秀な下士官は自分が何から何まで見通しているかのように錯覚して勝手な解釈を加えて報告することがある。それが適切ならば報告を受ける側にも便利だが戦闘では状況判断を誤る危険性も否定できない。志緒はアメリカ空軍中佐の祖父と陸上自衛隊の陸将補と2等陸佐の両親の元で育ったので日常会話の中にも軍隊式の作法がはめ込まれていて報告に感情や解釈を加えることは許されなかった。したがって日本の子供が叱られた時の常套句「だって××って思ったもん」は兄の淳之介共々口にしたことがない。
「救助と安全確保の優先順位か・・・」志緒と航空士の問答を聞いていたコパイは独り言を呟いた。交戦者に人道的戦闘手段を義務付ける戦争法がない空を戦場としている海軍のパイロットも軍事知識として海戦法の教育は受けている。海戦法では艦艇は陸戦法の交戦者のように携帯・所持している武器を捨てることで戦闘能力を放棄することができないため沈没することが明らかな損害を受けた艦艇から脱出する乗員を攻撃することは違法でも護衛する艦艇が行う救助活動に対する保護は必ずしも厳格ではない。
しかし、ロシア海軍が救助を躊躇している理由がアメリカ海軍や海上自衛隊による攻撃ではなく揚陸艦に積んでいる大量の弾薬の爆発と言うのは下士官の航空士の勝手な推理だ。実際は揚陸艦に続いて護衛の駆逐艦も攻撃してくると戦闘準備を整えていると考えるのが軍人としての常識的判断だ。航空士の推理を中尉のコパイまで信じ込んでしまったとなると志緒が注意を与えたのは適切だった。
「サクラ、厚木に来なさい。司令部で事情説明してもらおう」厚木基地を発進した海上自衛隊のPー1と交代空域で合流するとパイロットの無線に司令部の指示が届いた。この任務の指揮官は志緒ではなくTACCOのスポット大尉であることは搭乗割を発令した司令部も承知しているはずだが何か特別な思惑がありそうだ。
今回の武力行使は哨戒飛行中の対潜哨戒機が火器管制レーダーの照射を受けた攻撃に準ずる事実に対してアメリカ海軍のROEに基づいて処置したのだが照射した護衛の駆逐艦ではなく艦隊としての行動と解釈して揚陸艦6隻を撃墜した。いまだ日米安全保障条約が発動されていない状況においてアメリカ海軍機がロシア艦隊を攻撃した事実は間違いなく重大な政治問題になる。特に日本から帰化してアメリカ海軍軍人になった志緒は日米のマスコミにかつての母国に対する個人的愛国心から職務権限を乱用したと断定報道される可能性は極めて高い。正々堂々と弁舌で決着をつけるアメリカ社会では事前の根回し=意思統一を図る習慣はないが、在日アメリカ軍だけに日本式コンセンサス方式も導入するようになったのかも知れない。確かに日本の政府や官公庁、自衛隊を相手にするには必要な作法ではある、
- 2023/08/17(木) 16:40:12|
- 夜の連続小説9
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