昭和4(1929)年の8月19日にドイツの巨大硬式(=金属製)飛行船・ツェッペリン伯号が地球一周飛行の途中で茨城県の霞ケ浦飛行場に着陸しました。
第1世界大戦の敗戦による国威の消失と経済的困窮に苦しむドイツはベルサイユ条約によって軍事産業が禁じられたため世界最高水準の工業技術を発揮する商品として名称の由来になったフェルディナント・フォン・ツェッペリン伯爵が飛行船の開発に乗り出していて1928年9月18日に初飛行した27号機でした。姉妹船に26号機のロサンゼルスがあります(アメリカ大陸横断航路の開設を期待しての命名らしい)。また27号機の使用停止後は30号機にも自分の名前のツェッペリン伯号を踏襲させていますからかなり自己顕示欲が強い人物だったようです。
機体は鋼材の骨組みにアルミ製の外壁で形成し、中には水素を詰めた袋を収納していました。全長は776フィート=236.6メートル(当時の日本海軍最大の戦艦だった長門・陸奥の全長は225メートル)、最大体積は10万5千立方メートルで浮力はヘリウムの最大の生産国だったアメリカが第1次世界大戦でドイツが飛行船を爆撃に使用した懲罰として禁輸していたため爆発の危険が高い水素でした(1937年5月6日に29号機のヒンデンブルグ号が爆発・墜落・炎上事故を起こしている)。動力はタクシーなどの燃料にも使われているブタンを主成分とする圧縮ガスで5基のエンジンを駆動して最高速度は時速128キロ、巡航速度は時速117キロ、航続距離は1万2千キロでした。
ツェッペリン伯爵は1900年に1号機を開発し、1909年には飛行船の製造・販売だけでなく旅客を運ぶ商業航空会社も創業し、大西洋を横断するアメリカや南米への長距離航空路線を就航させました。
この日本への訪問は2代目社長の友人の冒険家の新婚旅行として企画され、飛行船の有益性と近い将来の発達の可能性を世界に宣伝すること目的に21日間と5時間31分かけて491618キロ飛行した北半球一周の途中の大休止で、シベリアを無着陸で横断した後、太平洋を無着陸で横断する前だったので5日間に及びました。
当時、霞ヶ浦には第1次世界大戦の戦利品の青島から移設した東アジア最大の飛行船用格納庫があり(敗戦後に撤去されて付近には記念碑が建っている)、ツェッペリン伯号もここで万全の点検・整備を受けたようです。
乗客たちは5日間の大休止を無駄にはせず東京や日光、温泉などの日本観光を満喫しましたが、それ以上に珍しもの好きの日本人は国鉄が運行した上野から土浦の臨時列車を利用して30万人も押し寄せて地上に係留されているツェッペリン伯号を見学しました。
そして8月23日に離陸すると3日間かけて太平洋を横断してサンフランシスコの上空を通過してロサンゼルスに着陸しました。
しかし、初代ツェッペリン伯号はナチス・ドイツの台頭によって反ナチスを公言していた2代目社長が1930年代半ばに経営権を取り上げられて運航停止になったまま第2次世界大戦中の1940年3月に解体されて金属材料として溶解されてしまいました。
- 2023/08/19(土) 15:01:26|
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