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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

8月21日・ガダルカナル島のイル川渡河作戦で一木支隊が全滅した。

日米開戦から1年にならない昭和17(1942)年の明日8月21日に陸海軍の戦略思想の不統一とアメリカ軍上陸部隊の過小評価による戦力の逐次投入と言う愚策の結果、後に日本軍守備隊が補給線を絶たれて飢餓状態に陥ったことから「餓島」と仇名をつけられることになるガダルカナル島の奪還作戦のために投入された一木清直大佐が率いる歩兵第28連隊=一木支隊がイル川(幅20メートル程度の川)渡河作戦で全滅しました。
ガダルカナル島はパプアニューギニア島の東、オーストラリアの北東に並ぶソロモン諸島の1つで、1901年に独立したとは言えイギリス連邦の一員であるオーストラリアから至近距離にある地理的条件から考えて日本海軍が制海権を維持することが困難なのは明らかですが、真珠湾奇襲作戦の成功以来の連戦連勝に慢心していた連合艦隊は合理的判断力を喪失していて昭和17(1942)年1月のラボールの海軍航空隊の配備をもってこの地域の制空権、制海権を確保したと断定して同年5月31日の特殊潜航艇・甲標的によるシドニー港奇襲作戦が皆無に等しい戦果だったにも関わらずアメリカとオーストラリアの連絡路を遮断する目的で同年7月以降に海軍が機械化設営隊をガダルカナル島に上陸させて滑走路を建設したのです。離島への補給線が伸びれば海軍にそれを維持する責任が掛かってくることは戦争とは別次元の余技でした。
一方、アメリカはニミッツ大将を指揮官とする太平洋艦隊を主力とする部隊をハワイからマリアナ諸島に向けて東進させ、マックアーサー大将の陸軍を主力とする部隊を南太平洋からフィリピンに向けて北上させる反攻戦略を決定していてその手始めとして日本軍が滑走路を建設して名前が知られていたガダルカナル島を占領することになりました。こうして8月7日にアメリカ海兵隊第1師団とオーストラリア陸軍の協同部隊が上陸するとたちまち完成間近の飛行場を占領し、ゲリラ戦を展開する海軍設営隊の掃討に当たりました。
この事態に日露戦争で203高地を陥落させた最精鋭部隊として投入されたのが一木支隊ですが、当初は同年6月上旬のミッドウェイ作戦で連合艦隊がアメリカ太平洋艦隊を撃滅した後、海軍陸戦隊でミッドウェイ島を占領する計画の兵力不足を補うために北海道の旭川からサイパン島に派遣されて上陸訓練を繰り返していました。ところが移動したグアム島で待機中にミッドウェイ作戦が失敗に終わって8月6日に帰国命令が出たため貨客船で出航すると命令が変更になって今度はトラック島に上陸、ここで一木大佐が率いる先遣隊916名と火砲などを持つ主力部隊1500名に分割されて先遣隊だけが高速の駆逐艦でガダルカナル島に向かい(主力部隊は低速度の輸送船で後続した)8月19日の夜間に上陸したのです。
ところがアメリカ軍は一木支隊の飛行場への進攻経路だったイル川岸の陣地構築を終えていて一木支隊は3000名の敵兵と圧倒的な火力の前に壊滅され、翌朝には戦車も加わって生存者を殺害したため一木大佐以下774名から777名が戦死(全滅)し、主力部隊の上陸支援に残っていた100名前後のうち15名だけが捕虜になりました。
一木支隊の慰霊碑は陸上自衛隊旭川駐屯地前の北海道護国神社にあります。
  1. 2023/08/20(日) 12:28:31|
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