「番組の途中ですが臨時ニュースです。本日午後8時30分頃、石田首相が首相公邸でシャワーを浴びていて倒れ、救急車で都内世田谷区と目黒区にある自衛隊中央病院に搬送されました。現在、当直医の診断を受けています」「自衛隊中央病院って2つあるの」「いいや、両方にまたがってるんだ。自衛隊としては三宿駐屯地になるな」梢との散歩から戻り、一緒にシャワーを浴びてテレビを点けると唐突に重大なニュースが放送された。昭和36年生まれの私たちの世代では首相が在職中に病魔に倒れたのは昭和55年=1980年に大平正芳首相が心筋梗塞で急死し、2000年に小渕恵三首相が脳梗塞で入院してそのまま亡くなって以来だ。
「首相ってやっぱり激務なのね」「そりゃあそうだ。最近はマスコミが息抜きも許さないからな」脱いだ衣類を洗濯機に入れて出てきた梢がテレビを見て今更ながらの感想を口にした。敗戦後でも吉田茂首相は公私の時間は厳格に分けて記者の押しかけ取材を受けても「プライベート・タイムだ」と拒否したと言う。それが自民党の長期政権になると料亭やゴルフ場で政策を決定するようになり公私の意味が変わってきた。そして2001年2月10日に愛媛県の水産高校の実習船がハワイ沖でアメリカ海軍の原子力潜水艦に衝突されて沈没した事故が発生した時、森毅朗首相はゴルフのプレイ中に携帯電話で第一報を受け、官房長官と協議した後もプレイを続けたことを「国民の生命よりもゴルフを優先した」と言いがかりをつけられた。それ以降の歴代首相は取り敢えず官邸に駆けつけるポーズを演じるようになり、回数を重ねる度に国家が対処する必要がない事案にまで拡大されている。ところが東北の震災の後、民政党の缶直人内閣は仕事を杖野官房長官に丸投げして遊び歩いていたがマスコミは何も言わなかった。逆に復活した加倍政権では懸命に粗探しに励んでも政治巧者の加倍首相はつけ入る隙を与えなかったのでマスコミは不祥事を捏造し始めた。加倍首相の友人たちの小学校や大学の獣医科の創設を文部科学省の官僚たちが忖度して便宜を図ったとする批判報道を読んだのは日本だったか、オランダに茶山元3佐が送ってくれていた1カ月分の新聞だったのか記憶がハッキリしない。今思えば加倍政権が不眠不休で中国の細菌兵器=新型コロナ・ウィルスの伝染防止と伝染後の対応を検討していた中、1年近く前の桜を見る会への招待者の人数を一大政治スキャンダルとして徹底批判していた記事はオランダで読んだ。一方、石田首相は影が薄く、ヨーロッパのマスコミに取り上げられることが滅多になかったので日本が武力紛争に巻き込まれていることも実感できなかった。
「それにしても何の病気なのかしら・・・シャワーを浴びていて倒れたなら心不全かも知れないわ」「小渕さんみたいに脳卒中の可能性もあるぞ。それでも石田首相はストレスをため込むタイプには見えないがな」面識もないのに勝手な見立てを口にしたが、佳織も将官になってからは殊更に周囲の反応を計算する政治的な発言が多くなり、妻としての魅力が半減した。アメリカでは注目を集める裁判での活躍が大きく報道されるため弁護士出身の政治家が多いが、日本では単に法律の知識が役立つからに過ぎず、政治談議が大好きな私も実際に立ち入るつもりは毛頭ない。
「岸田首相の病状についての続報です。只今、診察室から出てきた自衛隊中央病院の当直医は記者の質問に対して命に別状はない。ただ意識がない。刺激に対する反応もない。専門医が到着したので交代する。詳しくは記者会見で説明すると答えました」私たちは梢が用意した酒と低カロリーのツマミで寝る前の軽く一杯を始めたが、テレビは見ていた歴史番組を中断して石田首相の病状に関する続報を流した。
「意識がない、反応もないって言うことはやっぱり脳梗塞かしら」「脳梗塞ならこの段階で命に別条がないとは言わないだろう。何よりも記者会見を設定しているならノーコメントで素通りするのが普通だぞ。あえて情報をリークする必要があったみたいだ」私の推理に梢がうなずいた時、テレビは救命措置が専門と紹介した有名大学病院の医師がオンラインで出演した。やはりテレビ局も原因を推定できないらしい。
「私もこのような症状は経験ありません。俗な言い方をすれば脳神経がプッツンしたとしか考えられません」医師が推察できない原因が素人に判るはずがなかった。
- 2023/08/28(月) 13:59:08|
- 夜の連続小説9
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