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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

8月29日・徳川家康公の正室・築山殿が殺害された。

今回の大河ドラマ「どうする!家康」ではNHKの史実を歪曲した政治的主張で反戦平和=自衛力否定の先駆者になっている築山(つきやま)殿が天正7(1579)年の明日8月29日に嫡子・信康さまに嫁していた娘の讒言を信じた織田信長公の命で浜松城近傍の佐鳴湖畔で自害を拒否して斬首されました。
しかし、東照神君・徳川家康公の出身地の三河国・岡崎で築山殿は悪名が轟いていて、この通称も岡崎城から北東に1キロほど離れた現在の久右衛門町に独立した屋敷を構えていたことに由来し、一般的には出身地から駿河殿と呼ばれていたようです。一方、時代小説や映画、ドラマで用いられる瀬名は江戸時代中期に発刊された東照神君の伝記「武徳編年集成」の3巻で唐突に紹介されて以降に常用されるようになっています。
NHKの大河ドラマで築山殿を演じたのは今回の最低・最悪の配役である有村架純さん以外には昭和58(1983)年「徳川家康」の池上季実子さんが最初で高慢でヒステリックなイメージが広まりました。続いて1992年「信長」の島村佳江さん、1994年「秀吉」の石川真希さん、2002年「利家とまつ」のつちだりかさん、2011年「江・姫たちの戦国」の麻乃佳世さん、一つ跳んで2020年「麒麟がくる」の小野ゆり子さんですが主人公の妻ではないので影が薄く、そんな中で2017年「おんな城主・直虎」の菜々緒さんは美貌・存在感が抜きん出ていて岡崎城下に伝承している悪妻と言うよりも恐妻のイメージに合っていました。
築山殿は今川家の重臣・関口親永さんと今川家出身の母の娘とされていますが生年は不明で家康公よりも5歳から同年生まれの年上女房とされています。弘治3(1557)年に駿河で家康公と結婚しましたが、当時としては行き遅れの18歳だったため側室の座を狙って今川氏真さんの性玩具になったことが今川家中で評判になっていて人質だった家康公が押しつけられたと言うのが定説になっています。さらに築山殿が桶狭間の合戦後に家康公が三河独立のために今川方の土豪たちを攻撃し始めた時にも氏真さんの性玩具されたのは殊更な好き者でなくても想像する常識です。
岡崎での築山殿は今川が派遣していた城代が駿河に送っていた三河の年貢に自分の私腹を肥やす分を上乗せした重税を課した上、美女を見かけるとそれが人妻であっても妾にするなどの暴挙を常態化させていて配下もそれに倣ったため今川への憎悪の念が強く、築山殿も針の筵に座る日々だったようです。
それでも嫡男・信康さまを生んだことで地位は安泰になくなったはずでしたが、家康公が浜松で蒲神社の神官の娘を妊娠(後の越前・松平秀康公)させたため浜松城から追放しただけでは飽き足らず流産するように木の枝に縄で吊るして真冬に冷水を浴びせて青竹で全身を殴らせる折檻を加えたことが越前・松平家の記録に残っています。
そのような複雑な立場であれば織田信長公に敵対心を抱くのも理解できますが、家康公にとっては生殺与奪を握られている相手に裏切りの疑惑を抱かれることは死命を決する問題であり、訪ねてきた築山殿を会うこともなく殺害させたのは悲痛な決断だったはずです。
  1. 2023/08/28(月) 14:00:13|
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