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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

9月1日・フランスの太陽王・ルイ14世が崩御した。

1715年の明日9月1日に現在も公式には72年と110日間の君主の在位最長記録を保持しているフランス国王・ルイ14世が崩御しました。76歳でした。
在位最長記録と言えばタイのプミポン・アドゥンヤデート国王=ラーマ9世陛下が2016年10月16日に在位70年と126日間の88歳で崩御され、イギリスのエリザベス2世女王が2022年9月8日に在位70年と127日間の96歳で崩御した時に「エリザベス2世が2位に躍り出たがルイ14世は抜けなかった」とイギリス王室評論家なる小母さんが残念そうに解説していましたが、公式記録ではないもののアフリカのタンザニアのムソマ・カニヨ族長は1963年に在位94年間の106歳で崩御し、古代エジプトのペビ2世は紀元前2278年から2184年まで在位79年、朝鮮の高句麗王朝の高巨連王は413年から491年まで在位78年の98歳で崩御しています。
そんなルイ14世は日本では江戸時代初期の寛永年間に当たる1638年にルイ13世が38歳で儲けた長男ですが父王が1743年に42歳で崩御したため4歳で即位しました。幼君が即位すると側近の宰相が政務を執り行うのが通例ですがルイ14世の場合は母親の王大后とイタリアから帰化したジュール・マザラン枢機卿でした。しかし、マザラン枢機卿はイタリア人だけにヴァチカンに臣従してプロテスタントを弾圧したため中流階級の反発を招いて内乱が発生するとルイ14世も国内を逃亡する生活を送りました。
それでもマザラン枢機卿の死後、1661年になって23歳で親政を開始すると今度はスコットランド系のジャン=バティスト・コルベールさんを重用して中央集権と重商主義(貿易などによって外貨を蓄積し、国家資産を増大させる)政策を推し進めました。
その成果でフランスの国力が充実するとルイ14世は国内ではヴェルサイユ宮殿を建設してルーブル宮殿から遷都すると社交文化を開花させて(メヌエットを好み、自らギリシヤ神話の太陽神・アポロンを踊ったことで「太陽王」の仇名がついた)国民にも華やかな雰囲気を満喫させる一方で対外的にはオランダやスペイン、ポルトガルに軍を派遣して支配権を強め、神聖ローマ帝国=オーストリア・ハプスブルグ帝国と対等な戦争を繰り返すなど1680年代にはブルボン王朝の絶頂期を迎えました。
しかし、長過ぎる絶対王朝の治世の弛緩は多くの矛盾を発生させ、他国を支配する宗教的根拠としてヴァチカンの権威を利用したことで自由と繁栄を謳歌する中で社会に浸透したプロテスタントを弾圧するようになり、贅沢を極めた社交の常態化と長期戦の出費によって経済は疲弊して孫のルイ16世の代になって炎上する革命の火種はフランス社会の深層部で燻り始めていました。
ルイ14世は「官僚王」と言う仇名をつけられるほどの政策通で、身長160センチでも身体強健で戦争と軍隊を好み、何よりも好色で女性遍歴を重ねるなど中世の絶対君主の典型=代表とも言うべき豪奢な人生を送りましたが、「私の中には太陽が宿っている。他に類を見ないほど眩い光が触れるもの全てに善を齎す(もたらす)。太陽は偉大な君主だけが描き得る最上の美と力を与えてくれるのである」と自己評価していました。
  1. 2023/08/31(木) 14:24:20|
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