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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

9月7日・「金鳥」の創業者・上山英一郎の命日

昭和18(1943)年の9月7日は世界各地で害虫が媒介する感染症予防に大きく貢献している蚊取り線香を考案し、「金鳥」を創業した上山英一郎社長の命日です。
野僧はスリランカで川辺のホテルに泊まった時、ボーイさんが雄鶏の柄が入った円筒状の缶を持ってきたのでよく見ると「金鳥」の蚊取り線香でした。そこで「これは日本人向けのサービスか」と訊くと首を振り、「このホテルは川に近いので蚊が多く、マラリアなどの予防にキンチョーを焚いている。気管支疾患などがあれば断ることもできる」と答えました。さらに「キンチョーは日本のメーカーだ」と説明すると「中国から輸入していると聞いています。漢字が書いてあるから信じていました」と驚いていました。そして豚の蚊取り線香器の絵を描いて説明すると「絶対に客が喜ぶ。是非、送ってくれ」と頼まれましたが、試しに1個送ったものの日本での価格をスリランカ・ルピーに換算するとかなり高額なるためそこまででした。
現在の日本の蚊取り線香市場は「金鳥」の独占ではなくアースやフマキラー、ライオン(一時期、歯磨きのライオンが吸収・合併を模索したが、本来は蚊取り線香製造機を製作した和歌山県の殺虫剤メーカー)などとの競合になっていますがその原料である除虫菊の栽培に成功し、それを渦巻き状の蚊取り線香にしたのが上山社長でした。
上山社長は文久2(1862)年に現在の和歌山県有田市の全国屈指の蜜柑農家の4男として生まれました。間もなく当主=伯父の養子になって明治10(1878)年に16歳で跡を継ぎましたが(富豪の旧家では時折行われる=上山さんも子供で繰り返している)、同年に上京して神田の進徳館で古典漢籍を学び、続いて後の立教大学で外国人宣教師から語学を習い、さらに慶應義塾に入門したところで病気になって帰郷しました。
健康を取り戻すと再度の上京と勉学の再開を熱望しましたが親族が許さず断念、地元での産業振興に志を転換しました。そんな明治18(1885)年に珍しい植物を探して来日していたサンフランシスコで植物輸入会社を営むアメリカ人が福沢諭吉さんの紹介状を持って訪ねてきたため竹や棕櫚(しゅろ)、秋菊などを提供して、その返礼としてビュハーグと言う除虫菊の種を受け取りました。
翌年に広島県尾道市向島町の干潟に種を蒔いて研究に着手すると明治20(1887)年には栽培に成功しましたが、「普及させるには取り扱いを簡単にする必要がある(干した菊の葉を炭で焚いていた)」と考え、佛具の線香にヒントを得て棒状で1時間程度の燃焼時間を持つ蚊取り線香を考案しました。ところが1時間では就寝中の除虫には短過ぎるため線香を長くする工夫に10年近く頭を悩ませたのです。すると明治28(1895)年に妻が「渦巻き状にすれば場所を取らず数倍の長さにできる」と思いついて明治35(1902)年に現在の形の蚊取り線香を発売し、大正8(1919)年に大日本除虫線香株式会社=現在の「金鳥」を創業しました。
この功績で本人が存命だった昭和5(1930)年に最初に除虫菊の種を蒔いた広島県尾道市向島町の亀森八幡宮の境内に除虫菊神社が創建されて祭神として祀られました。
  1. 2023/09/07(木) 16:25:20|
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