「周囲に隠れているマスコミ関係者に連絡する。先ほど記者と思われる男性が1名ロシア軍の対人地雷によって死亡した。皆さんが勝手に行動するのは危険なので自衛隊と同行することを許可する。希望者は停車している自衛隊の車両に集まりなさい。徒歩は厳禁する。ただし、我々は攻撃目標なので安全は保障しない」間もなく暗い空にエンジンを響かせてヘリコプターが低空飛行してきた。上空でロシア軍の動向を監視していたヘリコプターに戦闘団本部から指示が入ったようだ。戦時下なので安全確保のため存在を表示するライトは点灯していないので半分以上欠けた月に照らされただけの満天の星空に翼がない黒い影が通り過ぎ、必要最低限の音声で連絡しているのは異様だ。
数分後、各農道でバイクと思われる数台のエンジン音が車列の最後尾で停車している高機動車に近づいてきた。聞きかじりの軍事知識で狙撃を避けるために無灯火にはしているが爆音を響かせていては効果半減だ。一方、高機動車ではロシア軍が紛れ込んで接近してくることを警戒して荷台で小銃を構え、50メートル手前ではポケットに威力範囲が限定的なMK3手榴弾を入れた古参陸曹が暗視眼鏡で顔を識別していた。
「乗せてくれるのか」「保護してくれるんだな」荷台の中で隊員が膝射ちの姿勢で構えているとも知らない記者たちは手前に立っている古参陸曹を出迎え=受付と思い込んで声を掛けてきた。ここで日本語がおかしければMK3の出番だ。
「先ほど放送したように我々はロシア軍にとって攻撃目標ですから保護はできません。希望者には乗車と同行を許可します」「それでも取材はできるんだな。お願いしよう」「おう」記者は古参陸曹の影がうなずいたのを見て同僚と声を掛け合った。
「さっきヘリコプターは記者が対人地雷で死んだって言っていたけど対人地雷は国際条約で禁止されたんでしょう」高機動車の荷台に乗せられた2人の若い記者は後席の古参と中堅の陸曹に質問を始めた。高機動車は先に行った車列に追いつくために速度を上げているのでエンジン音が大きく声量も比例している。
「ロシア軍は対人地雷禁止条約には加盟していないようです。ロシアだけじゃなく中国や北朝鮮、韓国も加盟していません」「それなら日本の周りは全部、加盟していないことになるじゃないか」「そうなりますね」古参陸曹も時事問題に詳しい訳ではないがウクライナ侵攻が発生した時の防衛教育でロシア軍が対人地雷やブービートラップの使用を常態化していてウクライナ軍の将兵だけでなく多くの文民にも死傷者が出ていることを習って疑問を持った隊員たちが防衛大学校出身の若手幹部を質問責めにしたのだ。幹部に恥をかかせることが厳禁されている陸上自衛隊では珍しい現象だった。
「対人地雷だけじゃあないですよ。核兵器禁止条約だってロシアや中国、北朝鮮に韓国は加盟していない。皆さんは被爆国の日本が加盟しないことを批判しているが周囲には核を使用する気満々の国が揃っているんだ」「つまり日本が核攻撃を受けても相手にとっては国際法違反じゃあないと言うことですか」「それでも日本は被爆国として世界に手本を見せて禁止条約に加盟しろと言うのが皆さんの意見でしたね」古参陸曹の言葉の棘が広がり伸びて鋭くなって口からサボテンを吐き出しているようになってきた。
「そもそもソ連崩壊後の軍縮ブームもヨーロッパでは東西軍事対立の最前線だったドイツが統一を果たして周囲が味方になったから国防のための軍事力は必要なくなったのを日本に持ち込んで中国がロシア製の中古兵器の爆買いに励んでいるのを無視して防衛力の大幅削減を強要しただろう。あの頃は政権交代目前で自民党は追い詰められていたから応じざるを得なかったが、その結果が現在の状況だ」ここで前席の助手席に座っている曹長の小隊長が前を向いたまま補足した。この記者たちは年齢的に1991年12月のソビエト連邦の崩壊や1997年12月に調印された対人地雷禁止条約=オタワ条約の頃には生まれていないか子供だったかも知れないが、2017年7月に採択された核兵器禁止条約はマスコミの一員として報道に携わったはずだ。
それでもこうして編集部で吹き込まれてきたベトナム戦争式の反戦平和論に疑問を持ち、危険を顧みずに戦場の実態を自分の目で見極め、体験しようとする若手記者たちには無事に取材を終えさせて事実を報道してもらわなければならない。
- 2023/09/11(月) 14:05:42|
- 夜の連続小説9
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