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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

議題が違うだろう!幕末開港5都市会議

9月9日から11日まで嘉永7(1854)年に幕府が締結した日米和親条約以降の日英和親条約、翌年の日露和親条約、翌々年の日蘭和親条約(フランスだけは安政5=1858年の日仏修好通商条約)に基づいて開港された神奈川=横浜、箱館=函館、新潟、神戸、長崎(オランダと清のみに開港していたのを拡大した)の5都市の市民団体や各市の担当者が集まって「開港5都市景観街づくり会議」が函館で開催されました。議題は会議の名称通りに異国情緒漂う景観を活用した観光事業の情報交換や取り組みの成果報告などですが古地図や写真、サンプルコンテンツなどの分科会も交流するようです。
アメリカが幕府にこの5港の開港を要求した理由については小中学高校の日本史の授業では習いませんが、1つは太平洋における捕鯨船団の水や食料、燃料を補給する拠点の確保でこれは太平洋側の横浜です(当初は伊豆の下田だったが変更された)。もう1つは莫大な利益を期待できる清(中国)との貿易航路上の寄港地で、当時は台風の発生と進路を予測することは不可能だったため夏季は日本海を航行する必要があり、そのために北前船の寄港地だった新潟と函館を開港させ、逆に日本海が荒れる冬季には太平洋に出るため独立国と見做していた琉球王国とも1854年に琉米和親条約を結び、長崎の寄港許可を要求したのです。神戸については日本の2重の権力構造を理解して君主である天皇の居住地の京都に近い港湾として平清盛さまが開いた福原を選んだようです。
野僧はこの5都市に行ったことがありますが、横浜は開港当時の洋風建築は大半が空襲で焼失してしまった上、敗戦後はイギリス、オランダ、フランス、ロシア=ソビエト連邦が占領軍になったため古い建物の復元には熱意を示さず、そんな焼け跡に中国人たちが中華街を作ったためこちらの方が別の異国情緒を醸し出しています。その点、神戸や長崎も空襲と原爆で壊滅的被害を受けて同じように中華街が存在するものの「異人館」と呼ばれる洋風建築物が観光客を集めています。逆に函館はアメリカ海軍の空母艦載機の空襲だったため港内外の船舶が標的にされて市街地については無傷に近く、地理的に帝政ロシアが利用するようになって会議の開催地になるに相応しい景観が残っています。ところが新潟は3発目の原爆の投下目標だったため都市空襲からは除外されて無傷でしたが、元々が外国船の来航が少なかったので目立つような洋風建築は見当たらず、むしろ北朝鮮との往復航路の港として発達したため中華街ならぬ朝鮮街が発達してしまいました。
しかし、この5港の都市が一堂に会するのであれば景観の観光利用などと言う功利的・打算的な議題ではなくもっと深い問題を話し合って社会に発信してもらいたいものです。
野僧は中学時代から幕府の外交政策を担っていた外国奉行・岩瀬忠震さんに興味を持って研究していましたが、外交官の友人に「外務省が主体になって尊皇攘夷の狂気のままに幕府の開国を否定する明治式の歴史観を改めるべきだろう」と唆したところ「自民党の重鎮たちはいまだに幕末の感覚で歴史を見ている。だから文部科学省が言い出さない限り君子危うきに近づかずだ」と答えました。こうなると当事者として恩恵にもあずかっている幕末開港5都市が声を上げて歴史の誤りを糺すべきでしょう。
  1. 2023/09/11(月) 14:06:53|
  2. 常々臭ッ(つねづねくさッ)
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