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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ608

「死亡したのは神田士長と清水士長、破片で松永3曹も腕に負傷しました」街灯が消えて月も半分以上欠けている暗夜の中で状況を確認した小隊長の報告を中隊長は無表情に聞いていた。記者たちは現場の取材に駆けつける許可を求めようとしたが周囲の隊員たちが膝射ちの姿勢で小銃を構えているのを見て控えた。
「ブービートラップは1つとは限らん。むしろ動揺した隊員が歩き回るのを想定してPOM3を仕掛けている可能性もある。行動には一層の注意を払え」「了解」中隊長の指示は無線を傍受していた全ての小隊長を通じて徹底された。
そんな警戒態勢の中、ヘルメットに白い丸に赤十字の徽章を付けて同様の腕章を装着した衛生隊員が畳んだ担架を担いで通り抜けていった。衛生隊員は戦地にある軍隊の傷者及び病者の状態の改善に関する1948年8月12日のジュネーブ条約で戦闘行為は禁じられているが自分の護身と保護した傷病者を防護するための武器使用は認められているため衛生バッグと一緒にM9短機関銃を携帯していた。
「そう言えば君たちは軍用ヘルメットだけでなく防護チョッキも着ているんだね」「はい、出発する前に東京のミリタリー・ショップで買いました。米軍放出の実物だと聞いています」中隊長は連隊本部への損害の報告を終えると今更のように2人の記者が自衛隊と同様に側頭部から後頭部を保護したフィリッツ・スタイル(ドイツ軍式)の軍用ヘルメットを被り、襟が立ったボディー・アーマー・ベスト(防護チョッキ)を着ていることに気づいた。中隊長とは出発時に合流したので照明が点いた場所では姿を見られていないが暗視眼鏡は装着している。防護チョッキは袖なしのダウンジャケットに見えないことはないので勘違いしていたのかも知れない。
「これから我々に同行するのなら自衛隊の防護チョッキを貸すように手配しようかと思ったが必要ないようだな。流石だ」思いがけず褒められて記者たちは苦笑して顔を見合わせたが表情までは読み取れなかった。自衛隊の防護チョッキは迷彩になっているので隊員と識別できない。その点、アメリカ軍の放出品はOD色の旧式なので文民が着用するに適切だ。ところで日本では放出品と称して販売しているアメリカ軍の被服や装備品はアメリカ兵が金にするため業者に売った物が大半だ。アメリカ兵としては紛失の手続きを踏めば問題ないはずだが、ここまで役に立つとは思っていなかっただろう。
「2人の遺骸は後で衛生隊員に収容させます。松永3曹は応急処置ですみました。これから下半身に負傷した大野士長を担架で搬送します。搬送を今井士長に手伝わせます」「2人は現場写真を撮影してから姿を整えて安置しろ。君の小隊員を整列させて捧げ銃で儀礼を尽くせ。通過する隊員には姿勢を正して敬礼させる」「了解」今回も中隊長の指示は傍受している小隊長を通じて徹底された。それにしても手榴弾による負傷の処置は突き刺さった破片を抜かなければならず麻酔なしでは激痛が走る。松永3曹が腕、大野士長が足を負傷したのはヘルメットと防護チョッキから露出している部位だ。
「前進、儀礼地点以外は戦争間行進」「前進、儀礼地点以外は戦闘間行進」衛生隊員が大野士長に「麻酔を注射して担架に載せた」との報告を受けると中隊長は本来なら部隊斥候と呼ぶべき巡回の再開を命令した。戦闘間行進は敵の狙撃や攻撃に備えて姿勢を低くし、小銃を脇に抱えて即座に応射できる体勢だ。それでも小隊長の指示で茅葺屋根の屋敷の門の前に並んで横たえられた2人の遺骸の前を通過する隊員たちは立ち止まって直立不動の姿勢になると立て銃をして銃口に手を伸ばす銃礼、担え銃で切り替え軸部に手を添える銃礼、中には正規に捧げ銃をする者もいた。
「神田士長、清水士長、残念だ。これで君たちの任務は解くから家に還りなさい。神田士長は新庄、清水士長は天童だったな」中隊長は吊れ銃していたので左手に吊り紐を持ち替えて右手を伸ばしてから挙手の敬礼をする捧げ銃=銃礼をした。その一部始終をテレビ局の記者は動画で、新聞社の記者は画像で撮影していた。
「ナマンダブ、ナマンダブ・・・」「ギャーテー・ギャーテー・パーラーギャーテー・・・」スマートホンを向けながら中隊長の真摯な態度を見て取った2人は手を合わせて聞き覚えの経文を唱えてから後を追って歩き出した。
  1. 2023/09/14(木) 14:30:24|
  2. 夜の連続小説9
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