fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ617

「おい、ここは何処だ」自衛隊中央病院には数室しかない将官用の特別病室で担当医がセットになっているアンプル(薬剤瓶)の意識回復薬を注射すると間もなく石田首相は目を覚ました。顔を覗き込んでいた妻に気づいた第一声はこれだった。
「ビックリしたわよ。いきなりシャワー室で倒れて・・・ここは自衛隊中央病院の病室、入院しているのよ」妻は普段の会話の通りの口調で説明した。それを聞いて石田首相は枕元に置いてある脳波や心電図の測定器を見回し、こめかみと心臓にセンサーが張り付けてあるのを手で確認すると唇を噛み締めて考え込んだ。頭に浮かんできた記憶は夕食後、妻と一緒にシャワーを浴びていて加齢と共に熟成されてきた肢体に見惚れて手を伸ばしたところまでで途切れている。
「それで俺は何時間くらい倒れていたんだ」「・・・5日間よ。目が覚めたら読んでもらおうと思って新聞は置いてあるわ」妻は石田首相の質問に答えながら枕元の棚に置いてある束になった新聞を見せて、その厚みで日付の経過を実感させた。
「その間、政府は・・・戦闘はどうなった」「立野さんが臨時代理として仕事を代行しているわ。戦争は陸上自衛隊が新潟市を包囲しているみたい。ロシアのミサイルが長岡市に落ちて自衛隊にも犠牲者が出ているそうよ」妻は枕元のテレビで見ていたニュースの要点を簡潔に説明した。すると石田首相は相変わらず妙なことに引っ掛かった。
「戦争って立野は防衛出動を発令したのか」「・・・いいえ、臨時代理と言う立場を踏み越えるようなことはしてないみたい。政府の内側のことはよく判らないけど」要するに妻が口にした「戦争」と言う単語は「自分が防衛出動を命じていない以上、自衛隊が実施している武力行使は警察権に基づく限定的なもので日本国憲法第9条が否定する戦争ではない」と言うこだわりに反するのだ。しかし、妻は石田首相のそのような個人的こだわりが自衛隊の防衛行動を束縛し、かえって危機を招いていることを立野官房長官から教えられて今回の意識喪失による職務離脱に協力したのだった。
「村上市は無事だったんだな」「ロシア軍は新潟市に逃げて留守だったそうよ」意識がハッキリして来ると石田首相は新しい方から遡るように新聞を通読し始めた。ただし、大小の見出しと写真、図表以外はほとんど見ていない。
「これは日本人の記者が現地で取材して書いているようだな」「テレビのニュースで言っていたけど黙ってついてきた記者が対人地雷で死んだから自衛隊が同行を認めたんですって。おかげでニュース速報も見られるわ」妻の返事にうなずきながら石田首相は自衛隊が攻勢作戦を開始した日付を確認した。その紙面では「石田首相、依然意識が戻らず」が一面トップでも4分の3は「自衛隊が新潟に進攻開始」と言う見出しと夜間に撮影した市街地の自動車道を進行する戦車の車列の写真が載っている。つまり石田首相が倒れた翌日には自衛隊の攻勢が始まったことになる。石田首相も陸上自衛隊が東北方面隊は山形県鶴岡市内、東部方面隊が新潟県西部の高田駐屯地で混成戦闘団を編成していることは知っているが編成の完結と作戦準備の完了の報告は聞いていない。
最後の新聞の一面トップは各紙とも「石田首相、倒れる」の大見出しと「立野官房長官が首相臨時代理に」の中見出しが躍っていた。確かに小渕恵三首相が脳梗塞で倒れた時、青木幹雄官房長官が臨時代理になった経緯と根拠の不明確さが政治問題になって以来、あらかじめ臨時代理を指名するようになって石田首相は立野官房長官を選任している。だから閣議でも異論は出なかったはずだ。
「総理、お目覚めだとか。はじめまして。自衛隊中央病院で脳神経外科を担当している防衛省医官の前野2佐です」その時、ドアをノックして担当医が入ってきた。後ろにはバインダーを抱えた看護師がついている。考えてみれば意識を失って救急車で搬送された石田首相は担当医に会うのは初めてだ。その点、脳神経外科では意識を失って搬送される患者が多いのでこの変な挨拶にも慣れているようだ。
「気分は悪くないですか」「うん、腹が減ったな」ベッドに歩み寄った担当医は石田首相の顔を注視した後、聴診器のイヤーチップを耳にはめて妻が背後から入院衣を開いた胸にチェストピースを当てて心音を確認した。異常はないはずだ。
  1. 2023/09/23(土) 14:57:14|
  2. 夜の連続小説9
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<9月23日・飯田線で「流電」が最終運行した。 | ホーム | 9月22日・「オー・ミステイク事件」=日大ギャング事件>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/8691-e483013e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)