fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

9月26日・北海道で日本史上最大の樋熊が射殺された。

2015年の明日9月26日に北海道でもオホーツク海に面する紋別市上渚滑町立牛で日本の記録上(2023年9月時点)、史上最大の樋熊が射殺されました。
2023年にも7月30日に牧場で飼育されている乳牛を66頭襲い、32頭を殺した樋熊・OSO18(最初に被害に遭った北海道標茶町オソツベツの地名と前足の跡の幅18センチから命名された)が射殺されましたが、体重600キロ程度の殺した乳牛を100メートル以上引き摺った怪力の持ち主でも10歳から14歳と推定される体長(後ろ足の踵から鼻先まで)2.2メートル、体重330キロの雄でした。
一方、大正4(1915)年12月14日に射殺された死者7人、負傷者3人の日本史上最悪の樋熊被害とされる苫別町三毛別の殺人熊でさえ真偽不明の遺骸の写真は別にして公式記録の体長は2.7メートル、体重は340キロの雄でした。
この樋熊は人間や飼育動物を襲っていた訳ではなく玉蜀黍(とうもろこし)畑を喰い荒らし、被害を受けた農家が自治体に駆除を要請していたのですが、広大な畑に背が高い玉蜀黍が生え揃っている中では巨大な樋熊でも発見は困難で被害は拡大する一方でした。
この日は樋熊が玉蜀黍畑に侵入したのを目撃した農家の通報で駆け付けた猟友会の会員が捜索を始めましたがやはり発見できず、そこで農家にコンバインで収穫してもらって隠れる場所を狭くして追い詰めていったのです。すると刈り終えた場所に見たこともない巨大な樋熊が姿を現し、猟友会の会員が猟銃を構えても逃げようとしないため「人間を恐れない危険な個体」と判断してその場で射殺しました。
この樋熊は6歳から7歳と推定される雄で体長3メートル、体重400キロと記録上は過去最大で解体すると腹の中には玉蜀黍の粒が大量に詰まっていました。
樋熊はヨーロッパからユーラシア大陸を横断して北アメリカ大陸(氷河期には深さ42メートルのベーリング海峡はつながっていた)にまで分布する熊で北極熊と並ぶ巨体の持ち主です。現在では北アメリカ大陸西部に生息する灰色熊=グリズリーが有名ですが野生の個体では最大級でも450キロ前後とされています(1979年にイエローストーン国立公園で捕獲された個体は508キロでした)。
ところが1920年に絶滅したカムチャッカオオヒグマでは体重655.2キロの記録が残っていて、それ以上に巨大なのはアラスカのコディアックヒグマでこちらは雄の平均で750キロに達し、最大はノースダコタ州ビスマークのダコタ動物園で飼育されていた雄のクライドは1090グラムと1トンを超えていました。そのためアラスカ人の彼女はツキノワグマの話をしても「可愛いからペットにしたい」と笑い、北海道の樋熊も「ミニチュアみたい」と言っていました。また2016年4月16日にはカナダ領内でグリズリーと北極熊と交配したミックスの個体も確認されています。
現在は寒冷地で棲息しているため樋熊は暑さに適応できない動物と思われがちですが、古代には地中海沿岸でも確認されていて日本でも数万年前までは本州にも生息していました。温暖な地域では巨大な肉と毛皮を狙って人間に狩り尽くされてしまったようです。
  1. 2023/09/25(月) 15:09:48|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<続・振り向けばイエスタディ620 | ホーム | 続・振り向けばイエスタディ619>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/8696-2f0179fe
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)