fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

ロスインディオスのリーダー・棚橋静雄さんの逝去を悼む。

9月19日に昭和ムード歌謡の人気コーラスグループ・ロスインディオスのリーダーでボーカルだった棚橋静雄さんが亡くなったそうです。85歳でした。
棚橋さんは昭和13(1938)年に東京で生まれ、青山学院大学を卒業後に占領時代に都市部を中心に広まったダンス・ミュージックでもラテン系音楽を演奏するバンドを結成してリード・ボーカルになりました。ちなみにロスインディオスと言うバンド名はネイティブ・アメリカン=アメリカ・インディアンを意味するスペイン語の単語の複数形で採用した理由・経緯が理解できません。
そして昭和43(1968)年に「コモエスタ赤坂」、同年に「知りすぎたのね」がヒットすると元々がレコードの売り上げではなくステージで活躍するバンドなのでこの2曲で人気は維持できたのですが、そこに芸能プロダクションの社長がスカウトした元実業団バレーボール選手のシルヴィアさんを加入させて昭和54(1979)年に発売した「わかれても好きな人」が長期大ヒットしてデュエット曲の定番になりました。
野僧は母親が大の歌謡好きだったため幼い頃からレコードを聞かされて育ち、ムード歌謡も鶴岡正義と東京ロマンチカの「小樽の人よ」や「君は心の妻だから」、和田弘とマヒナスターズの「愛し愛して愛しちゃった」、敏いとうとハッピー&ブルーの「よせばいいのに」「星降る街角」「わたし祈ってます」などと一緒にロスインディオスの歌も聞かされていたので「コモエスタ赤坂」は記憶していましたが、蒲郡高校に入学すると校内はフォークとロックの2色に塗り固められていて歌謡曲の出番はなくアイドル好きの女子生徒は「子供っぽい」と馬鹿にされるのを避けて校内で隠遁生活を送っていました。その点、男子生徒はアイドルでも「オナペット=センズリのオカズにしている」と言えば「俺もだ」「あっちの方がそそるぞ」などと盛り上がれるので隠す必要はありませんでした。
そんなフォーク三昧の3年間と同級生が弾くギターをバックに反戦歌を唄う大学の2年間を経て一般空曹候補学生として防府南基地の航空自衛隊に入隊すると野僧よりも2歳年下で高校を卒業したばかりの同期たちとの生活になりました。
すると入隊して間もなく区隊の団結会=宴会が開かれると言うことで同期たちとカラオケの練習を始めると九州男児の18歳の若者たちが村田英雄さんや北島三郎さんのド演歌や前述のムード歌謡を熱唱したのです(兵庫県出身の同期だけは荒井由実さんだった)。当時は高校生が唄えるカラオケ・ボックスは普及していなかったので九州の高校生は親戚の宴席などに同席させられて酒と一緒に歌を教えられたようでした。中でも長崎出身の18歳の「コモエスタ赤坂」は妙に唄い慣れていて、そのまま別の同期と「わかれても好きな人」にデュエット・メドレーになりました。
こうして覚えた「コモエスタ赤坂」ですが、士官になると当時の防衛庁と航空幕僚監部は東京都港区赤坂六本木の桧町地区に在ったため実際に赤坂の夜に飲む機会ができて歌の雰囲気を体験することができました。野僧も「コモエスタ赤坂」と「わかれても好きな人」はかなり愛唱させてもらいました。冥福を祈ります。
  1. 2023/09/26(火) 14:59:11|
  2. 追悼・告別・永訣文
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<続・振り向けばイエスタディ621 | ホーム | 続・振り向けばイエスタディ620>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/8698-30022f04
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)