fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

9月30日・「徳川家康」を再評価させた山岡荘八の命日

昭和53(1978)年の明日9月30日は討幕によって成立した明治新政府が学校教育で広めた虚偽・歪曲の歴史観では皇室を蔑ろにしながら大名の譜代・外様に始まり士農工商の厳格な身分制度で社会を固定し、農民から過酷な年貢を搾り取った260年間の閉鎖的暗黒社会を作った極悪人にされていた東照神君・徳川家康公の伝記を大ベストセラーにしたことで再評価させた歴史作家の山岡荘八さんの命日です。71歳でした。
山岡さんは明治40(1907)年に現在の新潟県魚沼市で生まれ、大正9(1920)年に13歳で尋常小学校高等科を中退して上京すると印刷会社に就職して文選工=採字工(活字を並べて文章にする職人)として働きながら逓信省の教育機関で学び、大正13(1924)年には印刷・製本業を始めました。昭和7(1932)年からは出版社・萬里閣書房に就職して雑誌「ギャング」を編集する一方で「変態銀座デカメロン」と言う官能小説を連載しています。残念ながらこの作品は全集に収録されていません。
翌年、後妻にした女流作家の婿養子になり、妻のペンネーム・山岡道枝を模倣して山岡荘八と言うペンネームを用いるようになりました。この頃から股旅物で人気を得ていた大衆作家の長谷川伸さんに師事するようになり、昭和13(1938)年に「約束」でサンデー毎日大衆文芸賞を受賞すると同門で敗戦後に「佐々木小次郎」「次郎長三国志」を執筆する佐々木元三さんや「桃太郎侍」の山手樹一郎さん、「桂春団治」などで上方落語の巨人を世に知らしめた長谷川幸延さんと共に文芸団体「赤鷹会」を創設して池波正太郎さんや西村京太郎さん、平岩弓枝さんなどを発掘しました。
戦時中は海軍報道員として東南アジアに赴任して潜水艦に同乗して帰国し、この実体験を基に「海底戦記」を出版しました。ところが敗戦後は占領軍にこの従軍活動と戦記物の著作物を問題にされて公職追放=作家活動の禁止の処分を受けました。
そして昭和25(1950)年に処分を解除されて執筆を開始したのが「徳川家康」でした。ただし、当初は北海道新聞のみの連載でしたが間もなく家康公の地元の中部日本新聞(現在の中日新聞)や神戸新聞でも連載が始まり、連載中の昭和28(1953)年から単行本が出版されると「家康ブーム」と呼ばれる大ベストセラーになり、昭和38(1963)年には吉川英治文学賞を受賞しました。
前述のように戦前の学校教育(山口県では現在も継続している)では欧米列強の圧迫に怯えた徳川幕府が勅許も得ずに不平等条約を押しつけられ、「このままでは日本が植民地になってしまう」との危機感から勤皇の志士たちが決起して討幕したように吹き込まれ、徳川幕府の260年間は暗黒の時代だったように洗脳さていましたが山岡さんの「徳川家康」では武将ではなく実業家・組織経営者と言う視点で生々しく人物像を描き出し、戦乱の世を真に終息させて260年間の天下泰平の世を築いた知恵と手法、それを培った苦難に満ちた生涯を復興に向かって歩み出した日本人に教訓として与えたのです。
山岡さんの作品は昭和46(1971)年「春の坂道」、昭和58(1983)年「徳川家康」、昭和62(1987)年「独眼竜政宗」がNHKの大河ドラマになっています。
  1. 2023/09/29(金) 14:49:11|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<続・振り向けばイエスタディ624 | ホーム | 続・振り向けばイエスタディ623>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/8704-869da700
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)