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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月4日・神馬・シンザンに匹敵する名馬・シンボリルドルフが死んだ日

2011年の10月4日に無敗で中央競馬における皐月賞・東京優駿・菊花賞のクラシック3レースを制して3冠、中央競馬での最高位グレード1のレースで7勝を達成した名馬・シンボリルドルフが千葉県のシンボリ牧場で死にました。30歳でした。
シンボリルドルフは昭和56(1981)年に北海道新冠町のシンボリ(新堀)牧場で生まれました。父親は名種牡馬・パーソロンで母親はスピードシンボリの娘のスイートルナでした。祖父のスピードシンボリは昭和40年代に天皇賞(春)と宝塚記念、有馬記念を2連覇しただけでなく初めてヨーロッパに長期間遠征して競馬の本場・イギリスの最高峰のレースであるキング・ジョージ6世&クイーン・エリザベス2世ステークスや同じくフランスの凱旋門賞に出走し、さらに8歳でクラシックの桜花賞・皐月賞・優駿牡馬=オークス・東京優駿=日本ダービー・菊花賞の5大タイトルと春(昭和天皇)と秋(明治天皇)の天皇賞に有馬記念の3タイトルを加えた8大賞を当時の最高齢記録で制しています。
この牡牝馬の組み合わせは初仔馬のシンボリフレンドは気性が荒くレースに集中できないため成績は1勝に留まり、続く第2仔馬の牡、第3仔馬の牝も同様の理由で大成しませんでしたがそれでも牧場主はこの牡牝馬に賭け、第4仔馬として生まれたのがシンボリルドルフでした。名前の由来は牧場名=馬主の冠名に神聖ローマ帝国の皇帝でオーストリア・ハプスブルク家の始祖になったルドルフ1世から採りました。
シンボリルドルフは額に小さな三日月形の白い柄が入った個性的な風貌で、名馬の相と言われる左後脚が白く生まれて20分で立ち上がったことから馬主は大いに期待して千葉県のシンボリ牧場と茨城県の美浦トーレーニングセンターでスピードシンボリの旗手だった野平祐二さんを調教師として育てられました。そして昭和58(1983)年7月の新潟競馬場での新馬レースで岡部幸雄騎手の騎乗でデビューして優勝を飾りましたが、当初は兄姉に騎乗していた別の騎手で秋の北海道か中山競馬場でのレースを予定していたのですが、シンボリルドルフが超・絶好調だったので「勿体ない」と言う野平調教師の判断で出走させ、空いていた岡部騎手が抜擢されたのでした。
続く第2戦は東京競馬場のいちょう特別でしたが第3戦は阪神競馬場のグレード1の朝日杯3歳ステークスではなく東京競馬場の一般レースでした。これは「同日に開催されるジャパンカップに出場する海外の騎手たちにシンボリルドルフを見せたい」と言う馬主の意向で、実際、世界でもトップクラスの騎手たちは「ヨーロッパにもこんな馬はいない」「ヨーロッパ遠征する時には声を掛けて欲しい」と感嘆していたそうです。
こうして前述の常勝街道を爆走ではなく華麗に駆けていきましたが、そこで中央競馬が頭を抱えたのは馬券がシンボリルドルフに集中した上、実際に勝ってしまうため賭けが成立しないことでした。またシンボリルドルフが故障するとファンから中央競馬に批判が殺到して完治するまで無理はさせられず、そのためヨーロッパ遠征も実現しませんでした。
ちなみに種馬としても精力絶倫で国際グレード1競走や皐月賞・日本ダービー・ジャパンカップ・有馬記念を制したトウカイテーオーは息子です。
  1. 2023/10/04(水) 16:06:17|
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