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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

陸上自衛隊は帝国陸軍の「暁」船舶部隊を復活させろ!

陸上自衛隊が現在は海上自衛隊に委託するか民間海運業者に役務調達している南西諸島などへの部隊の機動的運用や物資の物資輸送を独自に実施するため1700トン級の中型と350トン級の小型の輸送船舶を導入して陸上自衛官に運航させる海上輸送部隊を「新設」するそうです。1700トン級と言えば海上自衛隊がMSA協定=日米相互防衛援助協定に基づいてアメリカ海軍のLSTー542級戦車揚陸艦の供与を受けて運用したおおすみ級輸送艦は1650トン、続く国産のみうら級輸送艦が2000トンですから初期(昭和30年代から40年代前半)の海上自衛隊並みの船舶を取得・運用するようです。
確かに陸上自衛隊にとって海上輸送は初体験で部隊も新設ですが、帝国陸軍は明治6(1873)年の台湾出兵で民間船舶を徴用して渡航したのを皮切りに日清・日露戦争では対馬海峡を越えて大兵力を送り込み、その後も第1次世界大戦の青島攻略やシベリア出兵、支那事変から南方進出、太平洋戦線へと輸送量は増大の一途を辿りました。
そのため陸軍の補給などの後方と前線への輸送を担う輜重科では徴用した民間船舶に乗り込んで輸送船団を指揮し、船長に陸軍の立場から指示を与える専門家も現れました。実際、204トンの木造帆漁船に蒸気機関を搭載した開南丸で明治43(1910)年11月29日に東京の芝浦を出港し、明治45(1912)年1月16日に南極大陸に上陸し(実際は海上に浮かぶ氷山が割れる前の巨大な氷塊だった)、南緯80度5分まで探検して今もシラセ海岸の地名を残す白瀬矗中尉は陸軍の輜重科士官でした。
一方、帝国陸軍には渡河や上陸作戦を担当する船舶工兵も存在しました。帝国陸軍での渡河は工兵の本務である架橋が不可能な大河を小舟で渡る余技でしたが、大陸戦線で川幅10キロをはるかに超える大河を渡河することで急速に発展し、船舶輸送を専門とする輜重科を中心に機械動力付きで前開き式の大発艇が開発され、その優れた性能から離島での上陸作戦に使用できるように外洋では船内に大発艇を収納して上陸予定地の沖で兵員や資材を搭載して発進させる特殊船=現在の強襲揚陸艦の原形にまで発展しました。同時に戦時下の昭和18年には工兵から独立して独立兵科の船舶兵になり、漁民や造船所の工員を徴兵した即戦力たちで広島市の宇品港に編成した「暁」部隊として活躍したのです。
さらにガダルカナルへのネズミ輸送(高速駆逐艦による夜間海上輸送)やモグラ輸送(潜水艦による輸送)の失敗に懲りて海上輸送に熱意を示さなくなった帝国海軍に任せていては太平洋諸島に伸び切った補給線を維持することは困難であり、アメリカの厳重な包囲を突破して物資を補給するために独自に輸送潜水艇=3式潜航輸送艇(書類上は丸印の中に「ゆ」と書いて「まるゆ」と読んだ)を開発すると実戦に投入して多少なりとも戦果を上げ(全滅した離島からの参謀の脱出など)、敗戦までに38隻を建造しました。
「暁」部隊の主力は敗戦直前に隠岐の島に守備隊として派遣されて島民の本州への避難輸送と島内での陣地構築に当たっていて原爆の被害は免れました。今回、陸上自衛隊が新設する船舶部隊も第11戦車隊が帝国陸軍の第11戦車連隊の「士魂」を踏襲しているように是非、「暁」部隊の別称を復活させてもらいたいものです。
  1. 2023/10/05(木) 16:48:47|
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