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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月7日・後腐れが残ったアキレ・ラウロ号シージャック事件

1985年の10月7日にハイジャックが定番のパレスチナ解放戦線のテロリストが何を思ったか客船を乗っ取ったアキレ・ラウロ号事件が発生しました。
アキレ・ラウロ号はイタリアの船会社・アキレ・ラインが主に地中海航路で運行していた全長192メートル、全幅25メートル、総トン数21110トン、乗客数900人の客船ですが1938年にオランダにウィリアム・レイスの船名で発注されて1939年に起工したもののドイツと連合軍の空襲で2回作業が中断・延期になったため進水したのは終戦後の1946年7月になってからでした。それでも作業は順調に進み1947年11月には竣工して12月2日に処女航海しています。1964年にアキレ・ラインに売却されるとエンジンの換装を含む全面的な近代化が施され、1966年に就航してからは地中海航路で運航されていました。事件はアキレ・ラウロ号が主にアメリカ人・イギリス人・イタリア人・西ドイツ人の乗客と乗員の520名を乗せてイタリアのジェノバを出航し、エジプトでもナイルデルタ地帯の西端の古都・アレキサンドリアを経由して東端のポートサイドまで向かう航海の残り150キロの途中で発生しました。
犯人はジェノバから乗客を装っていたパレスチナ解放戦線のテロリスト4名で乗客を人質にしてイスラエルに拘束されている同志のゲリラ50名の釈放を要求するのと同時にリビアのタルトゥースに向かうように命じました。タルトゥースに到着すると航海中に分別していたアメリカ人、イギリス人、ユダヤ人を甲板に集めましたが、車椅子のユダヤ系アメリカ人の老人は独力では上がることができず、若いテロリストたちが取り囲んで罵声を浴びせているところへリビア政府の受け入れ拒否が伝わったため腹癒せのように射殺して遺骸を車椅子に座らせたまま海に投げ捨てました。
結局、船長が無線でエジプト政府からポートサイドに向かう許可を得ると港外に停泊してテロリストが2日間にわたって交渉し、自由通行許可証とエジプト航空機でチュニジアに送ることを条件に人質の解放とアキレ・ラウル号の放棄が成立しました。
ところがこの事件はそれでは終わらず10月10日にテロリスト4名を乗せて離陸したエジプト航空のボーイング737を地中海に展開していたアメリカ海軍第6艦隊の航空母艦・サラトガから発進したFー14が上空で拘束してシチリア島のNATO軍基地に強制着陸させたのです。アメリカとしては自国民が殺された以上、犯人にアメリカ国内で裁判を受けさせることが国是なのですが、当時のレーガン政権とイタリアのクラクシ社会党政権は対立していてNATO軍に基地を提供している強みでテロリストのうち3名をイタリア当局が逮捕して裁判にかけ(主犯=リーダーはチュニジアへの逃走を黙認した)、イタリア国内で服役させながら2名には1991年、1名は1996年に仮釈放を認めています。この腹癒せで(?)レーガン政権は翌年4月にリビアを空爆しました。
ちなみにアキレ・ラウル号は1994年11月30日に火災を起こして処女航海と同じ12月2日に沈没し、エジプト航空のボーイング737は同年11月23日のハイジャック事件の機内での銃撃戦で爆発・炎上してどちらも姿を消しました。
  1. 2023/10/07(土) 14:50:08|
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