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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月10日・ウクライナ人のソ連軍の英雄・パヴリチェンコ少佐の命日

1974年の明日10月10日はナチス・ドイツの侵攻にソビエト連邦軍の狙撃兵として参戦して309人の公認射殺数を記録し、英雄として訪米した時にはフランクリン・ルーズベルト大統領と面談したウクライナ人のリュドミラ・パヴリチェンコ少佐の命日です。
パヴリチェンコ少佐はロシア革命の前年の1916年に帝政ロシアに支配されていたウクライナの首都・キーウ近郊のピーラ・ツェールクヴァで生まれました。14歳でキエフ(当時の呼称)市内に転居するとスポーツ少年団の射撃部に加入して練習に励み、抜群の成績を収めるようになりました。高校を卒業すると旋盤工としてキエフ兵器工廠で働きましたが教員を志望するようになって大学検定試験でキエフ大学の文学部史学科に進学しました。大学でも射撃部に所属して男子部員をしのぐ腕前を発揮していたようです。
ところが1941年6月22日にナチス・ドイツが独ソ不可侵条約を破棄してソビエト連邦領内に侵攻を開始したためキエフ市内のソビエト連邦軍の事務所に行って志願兵に応募したのです。この時、従軍看護師と言う選択肢もあったのですが本人が拒否しています。そうして身体検査と素養試験に合格すると2等兵として歩兵第54連隊に配属されて新兵教育を受けました。そこでも抜群の腕前を披露すると正式に狙撃兵に指定されて望遠眼鏡を装着した狙撃銃を供与されてウクライナ第3の都市であるオデッサに配属されました。
当時のソビエト連邦軍はスターリン書記長の粛正によって上級士官配置の多くが欠員になっているところに世界戦史上最大の380万人もの圧倒的な兵力と最新鋭の兵器で侵攻するナチス・ドイツに対して為す術もなく敗走を続けていてパヴリチェンコ狙撃兵たちには前線に残ってソビエト連邦軍の退却を援護する任務が与えられました。
そこでパヴリチェンコ狙撃兵は独自の創意工夫で念入りな偽装で潜伏して敵兵をやり過ごすと700メートルから800メートルの遠距離で背後から狙撃する手法で2名のドイツ兵を射殺しています。その後もウクライナ人が主体の狙撃兵にはソビエト連邦軍の退却のための捨て駒の任務が与えられましたが、パヴリチェンコ狙撃兵は指揮官・通信兵・狙撃兵の優先順位で射殺して2ヶ月間の捨て駒任務中に187名を射殺しています。この戦功でパヴリチェンコ狙撃兵は上等兵から少尉に特別昇任して指揮官・指導者を兼ねて新たな戦場としてナチス・ドイツ軍に包囲されて、激烈な砲撃を受けていた黒海艦隊の根拠地・クリミア半島のセヴァストポリに赴きました。
そこでも同様の活躍を見せて射殺記録を257名にまで伸ばしましたがナチス・ドイツ軍の砲撃によって負傷して北コーカサスの軍病院に入院しました。ところが1ヶ月間の療養で復帰すると北コーカサスにも侵攻してきたナチス・ドイツ軍を狙撃しました。しかし、英雄を失うことによる士気の低下を危惧した軍当局により新設した女性狙撃兵学校の教官を命じられて前線を離れ、射殺記録は309名で終わりました。
第2次世界大戦後は大学に復帰して史学を学び直し、卒業後は海軍の戦史課で勤務しましたがPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症して酒に溺れ、アルコホール依存症で身体を壊して58歳で死亡しました。
  1. 2023/10/09(月) 14:29:17|
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