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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月10日・種の「恐竜」を確定したギデオン・マンテルの命日

1852年の10月10日はそれまでも化石は発見されていたものの種類が特定されていなかった古代の巨大生物を「Dinosaur=ギリシア語の『恐ろしい=deinos』と『トカゲ=Sauros』の合成語=意邦訳して『恐竜』」と分類・固定したギデオン・アルジャーノン・マンテル医師の命日です。62歳でした。
マンテル医師は1790年にイギリスでもグレートブリテン島南岸のサセックス州ルイスの靴屋の息子として生まれました。1805年に15歳で地元の外科医に弟子入りして医術を学び(当時の外科医は負傷した部位を縫合することが主体だったので父親から学んだ皮革を縫う技術が役立った)、1811年に王立外科医学会に加盟して正式に医師免許を取得すると地元にあった陸軍砲兵病院の従軍医師になりました。マンテル医師は極めて真面目に働き部隊に同行していると外科としての処置だけでなく内科の診察や投薬も行わなければならず、求められれば産婦人科も手掛けたため診療に忙殺され、特に1816年から19年にペストが流行した時には連日60名以上の患者を診察したそうです。
このような多忙な日々の息抜きとしてマンテル医師は出勤前の早朝や数少ない休日に趣味の地質学の標本採取や土性調査に励み(1813年にはルイス周辺の地質に関する論文を発表している)、中でも1811年にイギリス南部の海岸の崖で化石を採取して売っていたメアリー・アニングさんが魚竜・イクチオサウルスの全身骨格を発見したとのニュースに刺激を受けて地元の海岸の中生代白亜紀前期の石灰質の断崖絶壁で生物や植物(主に海藻)の化石探しに熱中しました。さらに1819年頃からやや内陸のクックフィールドの採石場で化石を採取するようになると森林地帯の痕跡を示す化石が出土してイギリスにも陸地や汽水地が存在したことを証明し、1822年には巨大な歯の化石を発掘しました。
この歯は草食動物の特徴を備えていたものの現代の動物では類例がないほど巨大でマンテル医師は地質学者や生物学者、博物学者たちに見せて意見を求めると象や犀などの自分が見知っている動物に当てはめる回答しか返ってきませんでした。それでもマンテル医師は出土した地層から「中生代の未知の生物の歯である」と確信して多くの生物の歯と比較した結果、草食爬虫類のイグアナの歯に類似していることを発見したのです。ただし、イグアナの20倍の大きさなので、それを比例拡大すると体長18メートルに達しました。
しかし、学者が自分の知識にない発見を認めないのはその頃も同じで専門外のマンテル医師の主張が認められたのは各地で多くの骨格の化石が発見され、その生物が現在の動物とは全く違う存在であることを認めざるを得なくなった1825年になってからで、こうして初の恐竜・イグアナノドンが認定されました。
それほどの業績を上げながらマンテル医師の後半生は不幸続きで化石研究に熱中するあまり本業の医師の仕事を疎かにしたため薬品や器具の購入資金が滞って休業せざるを得なくなって生活苦から妻と離婚、息子は父親を残してニュージーランドへ移住してしまい、娘が病死した上、マンテル医師も馬車の事故で脊椎を損傷し、その痛みからアヘンを常用するようになってアヘン中毒で死亡したのです。
  1. 2023/10/10(火) 14:34:02|
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