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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月18日・「宣戦布告」開戦に関する条約が調印された。

1907年の明日10月18日に19世紀に頻発するようになった植民地戦争を受けてオランダの首都・スフラフェン・ハーグで開催された第1回世界平和会議で1899年7月29日に調印された「陸戦の法規慣習に関する条約」の改定を議論する第2回平和会議の席上でそれまでヨーロッパでは騎士の慣習として行われていた開戦の通告を国際条約によって義務づけた「開戦に関する条約」が調印されました。
日本もこの日に署名しましたが、批准は最も早いカナダとスリランカが1909年11月22日で後述の事務手続きを担当することになったオランダやイギリス、ドイツ、オーストリア、ハンガリー、スウェーデン、デンマーク、アイルランド、アメリカ、帝政ロシアなどの主要国にオーストラリア、ニュージーランド、南アフリカの英連邦、メキシコ、ボリヴィア、エルサルヴァドル、インド(現在はパキスタンも)、フィリピンは同年11月27日でしたが日露戦争で宣戦布告前に海軍が旅順軍港を攻撃した前科を持つ日本は「奇襲攻撃が制約される」との異論が出て明治44(1911)年12月13日になりました。
条約自体は全8条で内容としては第1条「締結国は理由を附した開戦宣言の形式の最後通牒を明瞭かつ事前に通告しないで戦争を開始できない」、第2条「戦争状態に入ったことを遅滞なく中立国に通告し、中立国はそれを受け取った時点で中立国としての義務と権利が発生する。通告手段としては電報でも可」、第3条「条約の効力の対象国の指定」、第4条「条約の速やかな批准を促す。管理業務はオランダ政府・外務省が担当し、批准書はスフラフェン・ハーグに寄託する」。第5条「第1回国際会議の出席名簿にない国にも加盟の門戸を開き、その加盟手続きの規定」、第6条「批准書の寄託により効力が発生するのはオランダ政府が受領してから60日後」、第7条「脱退を希望する権利と手続き、受け付けるオランダ政府の処置」、第8条「オランダ政府は事務手続きに関する帳簿を作成・保管し、締結国には閲覧、抄本を公布させなければならない」と規定しています。
ところが日本の軍部はこの条約を悪用して現在はマスコミを中心に「日中戦争」と呼んでいる満州事変以降の大陸での武力衝突を日本よりも早く1910年1月15日に批准した国民党中国と「相互に宣戦布告していない以上、戦争ではない」としてハーグ陸戦条約やジュネーブ条約などの戦争法は適用されないと解釈したのです。そのため日本軍は文民が所在する市街地を無差別に攻撃し、毒ガスを使用し、国民党軍と中国軍閥は文民の服装で攻撃する便衣兵を用い、毒薬を使うなどの戦争法違反を繰り返し、双方とも捕虜の迫害などを常態化させることになりました。さらに中立国であるアメリカも多くの戦闘機を国民党軍に売却して操縦して届けたパイロットを義勇軍と言う形で参戦させています。
つまり開戦に関する条約に基づく日本と中国の戦争は昭和16(1941)年に日本陸軍がマレー半島に上陸し、日本海軍がハワイ真珠湾を攻撃した翌日に重慶の蒋介石政権が連合軍に加わるため日本とドイツ、イタリアの3国に宣戦布告してからです。ただし、真珠湾攻撃は外務省の在アメリカ大使館の職員が最後通牒=宣戦布告の秘密電報の翻訳に手間取っただけでアメリカが批判するような条約違反の意図的不意打ちではありません。
  1. 2023/10/18(水) 15:00:06|
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