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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月23日・ベイルート平和維持軍駐屯地爆破事件

1983年の明日10月23日にレバノン内戦の平和維持軍として首都・ベイルートに駐留していたアメリカ海兵隊とフランス陸軍空挺連隊の駐屯地に爆弾を積んだトラックが突入して自縛するテロ事件が発生しました(平和維持軍にはイタリア軍も参加していた)。
10月23日の午前6時20分頃、男2人が乗り、荷台に水タンクを積んだベンツ製の黄色塗装のトラックがベイルート国際空港に向かっていましたが警備兵たちはレバノンでは珍しくない水運搬車に見えたので素通りさせました。ところがトラックは空港を通り過ぎて敷地内にあるアメリカの平和維持軍=海兵隊の駐屯地に侵入すると駐車場で加速して有刺鉄線を突破すると第2海兵師団第8海兵連隊の現地司令部の庁舎兼兵舎の正面ロビー内でタンク内に満載していた5400キロ相当のTNT火薬を爆発させたのです。
この爆発で鉄筋4階建ての庁舎兼兵舎は完全に倒壊して海兵隊員だけでなく勤務・宿営していた陸軍、海軍を含む将兵241名が死亡し、60名が重軽傷を負いました。この1日単位の死者数はアメリカ海兵隊では対日戦争における硫黄島の戦いに次ぐ犠牲で、皮肉にも負傷者は沖合に停泊していた強襲揚陸艦イオー・ジマにヘリコプターで空輸してキプロスに搬送されました。さらに生存者の捜索に当たっているアメリカ軍の将兵をゲリラが狙撃したため収容・救護は難航しました。
一方、海兵隊司令部の爆破から2分後に西ベイルートから6キロのフランス陸軍の駐屯地でも類似した車両が第1猟兵落下傘連隊本部の庁舎兼兵舎の地下駐車場で爆発して鉄筋コンクリート8階建ての庁舎兼兵舎が完全に倒壊しました。こちらは58名が死亡し、15名が重軽傷を負いましたが、兵舎の将兵たちは海兵隊駐屯地での爆発音を聞いて窓際に集まっていたため壁と窓が破壊されて転落死した者もかなり出ました。こちらもフランス軍にとって1日単位ではナイジェリア紛争に次ぐ犠牲者数になりました。
事件後、ベイルートを拠点としてレバノン内戦中に反米テロを繰り返し、1983年4月18日のアメリカ大使館爆破事件を起こしたイスラム聖戦機構が犯行声明を発表しました。アメリカのレーガン政権はイランのホメイニー師の影響下にあるイスラム過激組織・ヒズボラの関与を疑いましたがヒズボラ、イラン、シリアの3者は否定しました。
これを受けてレーガン政権は直ちにテロを非難する声明を発表し、父ブッシュ副大統領を現地に派遣して同じく現地入りしたフランスのミッテラン大統領と「両国とも平和維持軍を撤退させない」で合意して報復の検討に入りました。レーガン政権としてはあくまでもヒズボラを疑い軍事訓練の拠点になっているベッカー高原の古代遺跡を攻撃する方針でしたがミッテラン政権が制止させました。そこでグレナダ侵攻の終結の目途がついた12月になって航空母艦ジョン・F・ケネディとインディペンデンスの艦載機でベイルートのシリア軍陣地を空襲し、さらに戦艦ニュージャージがベッカー高原のシリア軍陣地を砲撃して数百人のシリア軍将兵と民兵を殺害しました。そうして1984年2月にアメリカ軍は撤退しましたが、結果的にシリアへのヒズボラの影響力は強まり、アメリカ、フランス、イタリアによる平和維持軍派遣は失敗に終わったと言うべきかも知れません。
  1. 2023/10/22(日) 14:38:45|
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