fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月25日・レーガン政権のグレナダ進攻

ベイルートでレバノン内戦の停戦監視のため平和維持軍として派遣していた海兵隊の庁舎兼兵舎が爆破されて241名が死亡し、60名が負傷してから2日しか経っていない1983年の明日10月25日にドナルド・レーガン政権はカリブ海南部のグレナダで発生したクーデターに介入して7300名のアメリカ軍を進攻させました。
グレナダは1974年に独立した後も旧植民地のイギリス連邦に加盟していてエリザベス2世女王が現地の政治家のポール・ゴドウィン・スクーンさんを総督に任命していました。ところが独立後間もなく子飼いのギャング組織を警察・国軍化して外国資本と癒着したゲーリー一族が独裁体制を敷くと急速に貧困が蔓延して国民の不満が高まったためソビエト連邦がキューバに続くカリブ海の軍事拠点として目をつけたのです。
1979年にクーデターでゲーリー一族が失脚するとモーリス・ビショップ首相が就任して人民革命政府の樹立を宣言しました。人民革命政府はイギリス式民主主義を批判して憲法を停止、議会を解散すると強権を発動して社会事業のキューバ式近代化に着手しましたが周辺諸国は不承認でした。ただし、当時の独立国はドミニカとセントルシアのみでした。さらに人民革命政府が1980年に対岸のガイアナの政権を批判して対立し、ジャマイカの親ソビエト連邦・キューバの左派政権が倒れたため孤立は深まりました。
そんな1980年に成立したレーガン政権は共産主義との対決を前面に掲げて国際社会の自由主義を守るためには軍事介入を辞さない強硬姿勢を明確にしていて同年11月に「カリブ海イニシアチブ」を発表してグレナダの左派政権の弱体化を進め、1982年12月にカリブ海諸国でも左派政権のグレナダとセントクリストファー・ネイビス、イギリス領のモントセラトを除きながら共和主義政権のバルバドスを加えた地域安全保障システムが発足したのです。それでも3000人の兵力を有するグレナダはカリブ海諸国の中では軍事大国であり、ソビエト連邦やキューバ他の社会主義諸国と軍事協定を結んでいたので全く問題にしませんでした。
そして1983年に入るとレーガン政権はグレナダのキューバ軍によって建設されている巨大国際空港を「実態は軍事基地」と非難するようになり、地域安全保障システムとの協同演習を繰り返して圧力を強めました。すると同年10月13日に急進派レーニン主義者の副首相を担いで軍がクーデターを起こし、政権支持者との争乱の中でビショップ首相と閣僚が射殺され、スクーン総督を監禁して革命軍事評議会政府の樹立を宣言するとレーガン政権は直接介入を決定し、カリブ海諸国の同意を得たのです。
「アージェント・フュリー(押さえ切れない憤怒)」作戦は10月25日の午前5時に始まり、先ずアメリカ陸軍の空挺部隊が空港と建設中の巨大空港に降下して占領し、続いてアメリカ海軍の特殊部隊に先導されたアメリカ海兵隊が沿岸都市を急襲・制圧した後、カリブ海諸国の軍353名が上陸しました。その後、数日間の戦闘でアメリカ軍は死亡19名、負傷116名。グレナダ軍は死亡45名、負傷358名でキューバ兵も死亡24名、負傷59名に638名が捕虜になりました(駐留は12月25日=クリスマスまで)。
  1. 2023/10/24(火) 14:33:55|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<続・振り向けばイエスタディ647 | ホーム | 続・振り向けばイエスタディ646>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/8756-0e2b18db
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)