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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月30日・世界最大の水素爆弾・ツアーリ・ボンベの爆発実験

1961年の明日10月30日にソビエト連邦が現在も爆発規模においては世界最大の水素爆弾になるAN602号=西側の通称・ツァーリ・ボンベ(爆弾の皇帝)の投下・爆発実験をウラル山脈の延長線上の北極海にあるノヴァヤゼムリャ島で実施しました。
この通称は帝政ロシアで1733年から35年に鋳造された高さ6.14メートル、直径6.60メートル、重さの推定160から200トン(吊り上げると崩壊する可能性が高いため計測できない)、の最大の鐘をツアーリ・コロコル、1586年に鋳造された長さ5.34メートル、口径890ミリ、外径1200ミリ、重さ18トンの最大の榴弾砲をツアーリ・プーシュカと呼んでいることになぞらえたものですが、鐘と榴弾砲は一度も使用できなかったのに対して水素爆弾は実験とは言え実際に使用されました。
水素爆弾は第2次世界大戦中のアメリカのマンハッタン原子爆弾開発計画に参加した研究者たちがより強力な破壊力を持つ兵器の開発を継続して1952年11月1日に中部太平洋のマーシャル諸島にあるエニウェトク環礁で初の水素爆弾の爆発実験に成功するとソビエト連邦も翌年には兵器としては更に小型で実用的な水素爆弾の爆発実験に成功したためアメリカが後追いで開発を進めて1954年に同じ形式の水素爆弾の爆発実験に成功して、双方が爆撃機に搭載可能な水素爆弾を実戦配備する新たな核抑止力が始まりました。
ところが宇宙開発では優位に立っていても基礎科学や工業技術力に劣るソビエト連邦は水素爆弾の開発競争では後れを取るようになり、フリシチョフ指導部は1961年になって発表した核実験停止を撤回し(この時点でツアーリ・ボンベは完成していた)、1961年8月にはベルリンの壁の建設を始め、後年のキューバ危機の原因になるキューバへの核配備計画と対決姿勢を鮮明にするのと同時進行で水素爆弾の巨大化を進めました。
その結果、誕生したのが全長8メートル、直径2メートル、重さは当時のツボレフ95爆撃機の最大搭載量15トンを大幅に超える27トンのツアーリ・ボンベで1回だけの投下実験のために新型専用爆撃機を開発する余裕はなくツボレフ95爆撃機の無理な改造と最小限の燃料による最長の滑走路からの離陸で強行せざるを得ませんでした。
爆破実験はソビエト連邦領の北極海の島としては最大のノヴァヤゼムリャ島上空の高度4000メートルからの投下による大気圏内で実施されましたが、威力は第2次世界大戦で使用された全ての爆弾(2発の原子爆弾を含む)の50倍に相当するTNT火薬に換算して100メガトン=1メガトンは1トンの100万倍で(=ヒロシマのウラン爆弾は15キロトン=3300分の1、長崎のプルトニウム爆弾は21キロトン)、自国領と周辺国に被害が及ぶことが確実なため50メガトン相当に威力を半減させました。
それでも170マイル=274キロ離れた位置にいた人物が「核爆発による熱風を感じた」と証言し、閃光などの異常現象は北欧だけでなくイギリス、アイスランド、グリーンランドなどの2000キロの範囲で確認され、衝撃波は地球を3周したと言われています。
結局、実用性がないため再生産はされず、搭載できる超大型爆撃機を開発する前にキューバ危機よって軍拡競争に歯止めがかかり、単なる虚勢の産物に終わりました。
  1. 2023/10/29(日) 15:38:44|
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